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その1 [第1章 居てもいい場所]

 「あたし、ママ、いるもん」
それが、ちょっと都合が悪くなったときの、ぶち子の口癖だ。
そして、たいてい、こう続ける。「あんた、ママ、いるの?」
 ・・・いじわる、知ってるくせに。

 ねずには、ママがいない。
自分を生んだ母猫が、どんな顔だったのか、どんな毛並みだったのかさえ、覚えていない。
ねずは、ようやく目が開いたばかりの頃から、どこか人間の家で育てられていたのだが、
生後四カ月を迎える前に、ここらあたりに捨てられたのだ。
 ある晩、まあるくなって眠っていたら、ふわっと抱き上げられてバスケットのなか。
長い時間ゆさゆさと揺られて、気がついたら、見たこともない場所に
ひとりぼっちで取り残されていた。
バスケットから抱き上げて、ねずを道ばたに置いた、あの手の持ち主はもうどこにもいない。

 「ママって、なんだろう」と、ねずは思う。
そして、ぶち子に「あんた、ママ、いるの?」と聞かれるとき、いつも必ず
最後に自分を抱き上げたあの手の匂いや、しなやかな感触を思い出した。

 ぶち子のママは、猫だ。『さくら』と呼ばれている、きゃしゃな体つきの白っぽい三毛。
ねずは、さくらママのことを、よく知っている。ねずは、さくらママに恩義があるのだ。

 ひとりぼっちで置き去りにされてからしばらくの間、
ねずは、生後四カ月足らずの子猫にとっては、かなり過酷な日々を過ごした。
なにしろ、突然、まったく見ず知らずの場所に連れてこられたので、
ノラ猫が持たねばならない『なわばり』というものがない。
 さらに、人間の家で育てられていたので、なわばりをつくる方法も知らなければ、
自力で食べものを確保する知恵もない。
ふつうノラから生まれた子猫なら、なわばりは母親から譲り受け、独り立ちするまで
いっしょに行動することで生き抜くための術を見よう見まねで教わるのだが、
捨てられ子猫はそうはいかないのだ。

 それでもねずは、ひとりでがんばっていた。
置き去りにされた道ばたの、ちいさなお地蔵さんの祠の裏に身を隠し
(祠のなかにいると、掃除にやってくるおばあさんに箒で追っ払われてしまうのだ)、
近くのゴミ捨て場で食べものを漁った。
 ひとことで『漁った』と言えば、猫ならかんたん、と思われるかも知れないが、
世の中はそれほど甘くはない。
いまどきの住宅街のゴミ捨て場はカラスと猫に対する警戒が厳重で、
ネットや金網でガードを固められているうえに、ゴミ出しの時間帯も短くなっている。
数少ないガードの甘いゴミ捨て場、ゴミ出しから収集までの限られたタイミングを、
近場のノラたちが一斉に狙うのだ。母猫の後ろ盾をもたない新顔の子猫など、
シャーッ!という威嚇のひと声で、はじき出されてしまうのがオチなのである。

 けれどもねずは、幼いながらも、強い生命力を発揮した。野生の本能に導かれたのか、
それとも、もしかするとお地蔵さんが情けをかけてくれたのかもしれない。
最初の二日間は何も食べるものを見つけられなかったが、
お地蔵さんのお供えの水で脱水をまぬがれ、収集されたあとのゴミ捨て場の
コンクリートにこびりついた食べものの残骸や汁をなめてエネルギーにかえた。

 生きることは、闘いである。捨てられ子猫にとっては、とくに。

 そんなこんなで、なんとか命をつないでいるうちに、ねずにも知恵がついてきた。
ゴミ捨て場で、わりと寛容な大人猫の後にぴったりとくっついていると、
残り物にありつけるかもしれないこと。
カラスがゴミ袋を引きずりだすと、食べられそうなものが道路に散乱し、
子猫にも狙いやすくなること。
さらに、お地蔵さんの祠のなかにはときどきお情けのキャットフードをひとにぎり
置いていってくれる人間がいて、祠の裏の茂みを隠れ家にしているねずは、
他の猫に先んじてそれを食べるチャンスがあること、などなど。

 置き去りにされてから一カ月あまりの間、ねずは、そうやって生き延びた。

 おりしも八月の半ば、きびしい残暑のまっただなかである。
直射日光が照りつける昼間は、雑草の茂みにすっぽりと身を隠して、暑さをしのいだ。
夕立が降ると、屋根もなく吹きっさらしの茂みを捨てて、
となりの駐車場に止めてある車の下に避難した。

 そんなふうに、日々の暮らしをどうにか自分ひとりの力で支えながらやってはきたが、
ねずは、そろそろ限界を感じはじめていた。

 つねに空きっ腹を抱えて、昼も夜もひとりぼっち。
さびしさや不安で泣きだしたくなっても、寄り添ってくれる母親もはげましあえる兄妹もいない。
お腹も心もからっぽで、このままだと、くじけてしまうかもしれない、とねずは思った。

 野っぱらで生きる猫にとって、心がくじけること、それは、生命の灯が消えることだ。

                 ~その2に、つづく~

 


コメント(10) 

コメント 10

hiro

こんばんは。
ベランダっこ達の物語ですね。引き込まれるような文章でした。
必死に生き延びてきた仔猫のねずちゃん。
どのようにしてのらんさんのベランダ猫になったのか、これからも楽しみにしています。

by hiro (2012-11-18 22:12) 

popoki

さっき、ぼへ猫通信にコメントを書いてから、
このブログを見つけました〜。
これから先のおはなしで、ベランダ猫のナゾが解けますね。^^
ねずちゃんの幼少時代も、とっても辛かったのですね。
ロズウェルもうっかりすると、そういう時代を過ごす状況にありました。
今はとっても幸せそうにしてくれていて、私もうれしいですが、
世界中の猫が幸せになってくれるといいと、常々思います。
by popoki (2012-11-19 16:34) 

masutaro

ねずちゃん、がんばって生きてきたんですね。
ちょっと切なくて読むのが辛かったんですけど
続き楽しみにしています(^^)
by masutaro (2012-11-20 15:40) 

yonta*

ねずちゃんとぶっちゃんのお話が始まるのですね(^^)
私は、ふたりが大好きです♪
物語の続き、楽しみにしています。
by yonta* (2012-11-23 23:32) 

rantan-nya

切ない('_') ねずちゃん、大きくなって良かったね
酷い人間もいるけど、優しい人の方が多いんだよ・・ 絶対に!
by rantan-nya (2012-11-25 18:43) 

のの

ふむふむ・・・・・(((( ̄▽ ̄)/さ、その2へ・・・・♪
by のの (2012-12-01 14:49) 

マユリィ

いつも、気になってましたが、時間がなくて・・・
また、今度・・・と。
やっと、遊びに来れました。
ボチボチと・・・、読ませてもらいます。
by マユリィ (2013-05-22 16:21) 

ちぃ

こんにちわ(*^_^*)始めから読めるようにしてくださり
ありがとうございます。
もう1度始めから読ませて頂きたくておじゃましました♪
ゆっくり少しずつ読ませて頂きます。よろしくお願いいたします。
by ちぃ (2014-10-16 14:54) 

ふーみん

こんにちは
 夕べこの記事をみて 開けたまま ダウンしてました・
 ねずちゃんとぶちこちゃんのお話 楽しみに読ませて
 頂きます。
by ふーみん (2018-02-05 12:21) 

ミケシマ

改めて読み返しています。
ねずちゃん がんばれ!!
by ミケシマ (2020-05-17 17:58) 

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