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第3章 エロの季節 ブログトップ

その8 [第3章 エロの季節]

「おまえ、鈴付きか?」

 ある日、見かけたことのないオヤジ猫が、じろりと横目でねめつけながら話しかけてきた。
ゴミ捨て場で、ねずが、シュークリームの空袋と格闘していたときだ。

 その日はお天気がよかったので、ねずは、ひとりでぶらぶらとゴミ捨て場を散策にきたのだ。
ゴミ捨て場に来てみると、収集時間のあとに出されたゴミ袋がひとつあって、
それをちょうどカラスが解体してくれている最中だった。

カラスのことはすこし怖いので、脇にひそんで待つ。カラスは、鋭いくちばしで
上手にゴミ袋を引き裂き、ぴょんぴょんと跳ねながら袋を引きずって中身をあたりにぶちまけた。
そして、そのなかから、いちばんのごちそうと思われる食べかけの菓子パンを選んで、
すぐにバサバサと飛び去っていった。

 カラスが行ってしまってから、ねずは、ゆっくりと残りのゴミを検分した。
なるほど。カラスが長居しなかったのもうなづける。あとは紙くずや古着のようなものばかりで、
食べられそうなものは、見あたらない。・・・でも「!」
 ねずの嗅覚が、紙くずの下にかすかな甘い匂いをキャッチした。

「BINGO!」

 ガサガサと探ってでてきたのは、シュークリームの空袋ひとつ。
もちろん、中身のシュークリームはもうないが、つぶれてはみ出たらしいカスタードクリームが、
空袋の中にたっぷりとくっついている。
・・・鼻をくすぐる、かぐわしいバニラの匂い。
ねずは、鼻先で袋の口を押し開いて、ペロリと舌をのばした。
卵と牛乳がたっぷり入ったクリームの、なんと甘くておいしいこと!
ねずは、すっかり夢中になった。鼻先で押し開いた袋の開き口あたりのクリームは、
すぐさま舐めつくしてしまったのだが、ピッタリとくっついている袋状のビニールの奥に
ベッタリと残っているクリームにはどうにも舌がとどかない。
あきらめきれないねずは、いっそ、ビニールごとくいちぎって食べてしまおうかと考えていたのだ。

「おい、白線」こわもてのオヤジ猫は、ねずに、そう呼びかけた。
「おまえ、なぁ~んも知らんのだな。鈴付きだろ」

 鈴付き、というのは、どこかのお宅の飼い猫という意味だ。
ほんとうに首に鈴がついてなくても、飼い猫ならば鈴付きと呼ばれる。
鈴付きか、鈴付きじゃないか。・・・どうも、ノラたちにとっては、それが重要らしい。

「えっと・・・鈴付きじゃない、です?」ねずは、なんだか自信がない。
なんてったって、最初は、鈴付きだったのだから。

「じゃ、鈴付きあがり、だな。もとは鈴付きの捨てられ組だろ?ちがうか?」
オヤジ猫は、すべてお見通しだといわんばかりに決めつけた。(当たってるけど)
「おまえ、ビニール食うと、死ぬぞ」

 たしかにビニールは、動物たちにとってかなり危険なシロモノである。
たとえばカスタードクリームのようなごちそうがベッタリ付着している場合、
ビニールの脅威を知らない未熟な猫は、たいていは『ビニールごと』ごちそうを食べてしまう。
胃袋に収まっても消化しないビニールは、そのまま各消化器官をうまく通りぬけて、
ウンチとなって排出されてしまえば問題はないのだが、
往々にして胃の幽門部や小腸や大腸につまってしまう場合も多い。
オヤジ猫の言うとおり、「ビニール食うと、死ぬ」危険性は低くはないのだ。

       ~その9に、つづく~


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その9 [第3章 エロの季節]

 ねずは、驚いた。ビニールのことも初耳だが、
こんなふうに話しかけて仲間扱いされたのは初めてだ。ねずは、まじまじと、オヤジ猫を見た。

でっぷりと太った、白黒ぶちの大猫。片目に古傷があり、いかにも百戦錬磨、といった風情だ。
当然のごとく、首に鈴はない。
それなのに片方の耳に、キラキラと緑色に光る、きれいな何かがついていた。
・・・それは、一粒のビーズのピアスだった。

「おじさんは、鈴付きなの?」ねずは聞いた。

「HA!」オヤジ猫は、あきれたように鼻を鳴らす。
「オレさまが、鈴付きかって?」小ばかにしたように首をふった。

「オレさまは、もう八年もここいらあたりを渡り歩いている、生粋のノラだ。
 一度たりとも鈴付きだったことなんかないね。『片目傷のゴン』ったら、おまえ、
 となりの町内まで名の知れたボス猫さまだぞ。ま、おまえみたいに、
 昨日今日、野っぱらに出てきた小娘が知らんっていうのもしょーがないがね」

「じゃ、耳につけてるのは、なに?」
ねずは、オヤジ猫には似合わない、きれいな緑のキラキラが気になっている。

「これか?」ゴンは、ピアスの耳をぴくりと動かしながら言った。
「これはな、ま、一種の教訓だな」

「きょうくん?・・・教訓ってなに?」

「覚えておかなきゃいけないこと、って意味さ。ビニールの教えと同じようなものだ」

「何を覚えておかなきゃ、いけないの?」

「都会のノラの宿命。もしくは、人間のご都合主義、か」ゴンは、訳知り顔で言う。
「ま、おまえみたいなガキんちょには、まだぜ~んぜん分からんだろうが、
人間さまの領域でオレたちが生き延びていくためには、それなりの代償が必要ってことよ」

 ゴンが言っていることは、ねずにはちんぷんかんぷんだ。
ねずはただ、ゴンが耳を動かすたびに光を反射してキラキラと光る、緑のビーズに見とれていた。
自分も、そんなキラキラ、欲しい!ねずは、そう思った。

「それで、耳のキラキラは、どうすればもらえるの?」

「HA!」ゴンは、またバカにしたように鼻を鳴らした。
「おまえ、このキラキラが欲しいってか?まあったく、この世間知らずの小娘が。
 『どうすればもらえるの~』だと?キラキラのしるしの意味も知らずに、よく言ったもんだぜ。
 これだから、鈴付きあがりとは付き合っちゃらんねー、っつーの」

「もったいつけてないで、教えてやんなよ」ねずの後ろから、突然、別の声がした。

      ~その10に、つづく~


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その10 [第3章 エロの季節]

 ねずが振り向くと、このゴミ捨て場でよく見かける年上の三毛猫がいた
みんなから『ミケねえさん』と呼ばれている、ここいらではちょっとした顔役猫だ。

「この小娘はね、さくらがベランダに上げてやった、例の捨てられチビだよ。
 いきなり放り出されて、この暑いのにまぁガンバったほうじゃないかねぇ。最後には
 とうとう音をあげて、結局、さくらのベランダに上げてもらって、
 いまじゃそこで人間がかりになってるようだけど、
 それでもさくらの威嚇にひるまずに自分でよじ登ったって言うじゃないか。
 さくらの甘ったれ娘よりは、ちょっとは骨があるってもんさ。
 で、あんた、なんて名前になったんだい?」

「ねず、です」

「あ~、あんた、色も体つきも、子ネズミっぽいからねぇ。
 でも、白線、とか呼ばれるよりはマシじゃないかね」

「へぇー、あそこのベランダ娘、ね」ゴンは、ベランダの方角にチラッと流し目をしてみせる。

 ねずの話は、もう、ご近所猫の情報網に知れわたっているらしい。
新参者だって、ふた月もすれば、ここいらの猫として受け入れてもらえるのだ。

「では、キラキラがうらやましいねずちゃまに、ゴンさまの武勇伝を聞かせてやろうじゃないか」
ゴンは、ねずをじろりとにらみつけた。
「このキラキラは、だ」と、もったいぶって言う。「これは、『タマとり済み』のしるしだ」

『たま・とり・ずみ』・・・またしてもねずには、聞いたことのない言葉だった。
一体、タマって何だ?しかもトリ??それでもって、ズミ???
なにか、トリとネズミの合いの子のようなものだろうか?
ねずがぽかんとしていると、ミケねえさんが笑った。

「ホホホホ、ゴンちゃん、それじゃ分からないわよ。だって、この子、女の子だもん」

「ああ、そうだな。タマっていうのは、ほれ、男のシンボルだ。それは分かるな?」
ねずは、うなずいた。そのぐらい知ってる。
「それを、こう、スパッと、切り取られてるってワケよ。
オレさまが、これ以上、おまえみたいなウブな小娘に子供をはらませたりしないように、ってな」

 ねずは、びっくりした。タマをスパッと、って、そりゃまた、どーして?

「どうしてかって?そりゃ、こっちが聞きたいね。それが人間さまのご都合だから、さ。
 世の中に、ノラ猫が増えると困るんだとよ」

「そういう目に遭うのは、男だけじゃないんだよ」ミケねえさんがつづける。
「あたしだって、もちろん『しるし』を持ってるさ」ミケねえさんは、左の耳をピクピク動かした。

よーく見ないと分からないが、
ミケねえさんの左耳には、先っぽのところにちいさな切り込みがあった。

「ここいらあたりは、人間たちの管理が行き届いているからね。
 ほとんど、みんな、しるしを持ってるんだ」

ねずは、またまた、びっくりした。
女のミケねえさんは、なにをスパッと切り取られたのだろう?

「ははん、女はね、お腹のなかのタマならぬ『タマゴ』を取るのさ。
 獣医は卵巣って言ってたけどね。だから、ゴンちゃんたち男の『タマとり』なんかより、
 よっぽど大変なんだよ。気がついたら、お腹の毛をつるつるに剃られていて、
 五センチばっかり縫い目がついててね。そんな傷は十日もすれば治っちまったけど、
 あたしはそんな話、誰からも教わってなかったからね。ちょっとショックも受けたよねぇ・・・」

ミケねえさんは、昔を思い出すようにしみじみと言った。

「まぁ、そのおかげで、ウルサイ男どもに追いまわされなくなるし、
 命がけで子供を産んだり育てたりしなくて済むようになったから、いまとなってみれば、
 あながち悪いことでもなかったかもしれないけどね」

 ねずは、もう、口あんぐりだ。ねずの、このやわらかなお腹。
いまはカスタードクリームがいっぱいつまっている、このぷっくりと幸せなお腹が、
まっ白い毛もつるつるに剃られて、おまけに五センチの縫い目、だって?

「ふっふっふっ」震え上がっているねずを見て、ゴンは嗤った。
「怖いか?そりゃ、怖いよな。でも、鈴付きじゃなくなったおまえの身にも、じきに、やってくるぞ。
 それがイヤなら、絶対に、人間どもに捕まるな。
 もし、おまえに、そんな知恵や根性があるなら、の話だけどな」

「ねずは捕まらないもん!」ねずは叫んだ。なにがなんでも捕まってなるものか。

「HA!」ゴンは、またバカにしたように鼻を鳴らした。
「野っぱらに出てきたばっかりの、鈴付きあがりのお嬢ちゃまが。
 HA!カスタードクリームにつられて、ビニールまで食っちまいそうな小娘が。
 HA!ベランダでぬくぬくと人間がかりのぬるま湯暮らしをしているくせに、
 このゴンさまさえも捕まえた人間に、捕まらないもん、とはね!」

ゴンは、あきれたように首をふった。そして、「ま、お手並み拝見といこうじゃないか」
と言い残して、どこへともなく、ぶらりと去っていった。

「ゴンちゃんの言うとおり」と、ミケねえさんが言った。
「ほんとうに、そろそろだよ。秋は、繁殖の季節だもの。
 気取って『恋の季節』なんて言うヤツもいるけど、あたしに言わせれば『エロの季節』だね。
 まだタマありの現役の男どもは、どいつもこいつも目を血走らせて、女の尻を追いまわすんだ。
 女だって、おんなじさ。男を求めて、心が狂うんだ。
 オワァ~、オワァ~って、とんでもない鳴き声をあげて、男の気をアオるんだよ。
 まぁ、あたしも現役の女だった頃はそうだったし、あんたも生まれて六ヶ月も過ぎれば、
 いっぱしの女になる。・・・産めよ、増やせよ。あたしたち動物のDNAには、
 そういう本能が刷り込まれているんだ。こればっかりは、自然の摂理なんだよ」

「でも、人間たちにとって、それは不都合なことなのさ」ミケねえさんは、つづける。
「あたしたちは、いっぺんに三匹も四匹も子供を産むし、秋と春、一年に二回も
 エロの季節がやってくる。もちろん産まれた全部の子猫が無事に育つはずもないけど、
 それでも放っておけば、ネズミ算ならぬ猫算になっちゃう。
 で、人間たちは、ノラ猫がこれ以上増えないようにしよう、って作戦をたてたってワケさ」

 それが『タマとり済み』であり、そのしるしとしてゴンの耳につけられた
緑のキラキラの意味なのだった。

ねずは、すっかり気持ちが沈んでしまった。
もう、空袋にくっついたカスタードクリームなど、どうでもいい。
むしろ、口の中に残ったそのねっとりと甘美な味が、『タマとり』のための罠のように
感じられて不快だった。

 「ねずちゃぁ~ん」ねずを呼ぶ、ぶち子の鳴き声がベランダから聞こえてきた。

あたりは、そろそろ夕暮れ時。もうすぐ、ゴハンの時間なのだ。
ねずは、とぼとぼと家路についた。ミケねえさんの最後の言葉が、しこりのように胸にのこっている。

「エロの季節がやってくると、タマとり作戦のはじまりだよ。
 あんたたちみたいな、大人になりかけの小娘は、いちばんに狙われるからね。
 人間たちの、『地域猫』って言葉に気をつけな。
 それから、エロに血迷った男どものストーキングにもね」

      ~第4章に、つづく~


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