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その34 [第8章 旅立ち]

 ぽとり、ぽとり、ぽとり。 雪が降っている。

春まぢかに降る雪は、真冬にさらさらと軽やかに舞う粉雪とちがって、
湿気をふくんで大粒に結晶したぼた雪だ。

 ぽとり、ぽとり、ぽとり。 重たい雪のひらは、地面に落ちるとすぐに溶けだし、
じくじくと氷まじりの雪解け水となってあたり一面を凍えさせていった。

 お地蔵さんの祠の裏の、ほんのささやかに突きだした短いひさしの下にちぢこまって、
ねずは雪が降りかかるのをよけている。
できるだけひさしの下に身を入れようとちいさく丸まっているねずの足もとやお腹の下にも、
冷たい雪解け水がじわじわと流れ込んできて手足の裏を濡らすのだけれど、
他に身を隠せる場所もなく、ねずはカタカタと震えながらその場に座りこんでいた。

 冷たい、とねずは思う。

その冷たさは、降りかかる雪のせいだけではない。
ねずの胸のなかにずんずんと降りつもっている、凍てつく悲しみのせいだった。

 さくらママの亡骸が届けられ、パクが身代わりとなって死んだあの日から、
ねずは居場所を失ってしまった。

ベランダには、もう帰れない。 ねずを突き落とした瞬間の、ぶち子の怒りと拒絶の表情が、
いまでもくっきりと脳裏に焼きついていた。
かといって、公園にも行けない。あの道路を渡ることも、パクの血がしみついたあの公園の
石垣に近づくことも、ねずにはできそうにもなかった。

 さくらママの死は、ねずのせい。 パクの死も、ねずのせい。
もう、どこにもねずをあたたかく迎えてくれる場所はない。
行き場をなくしたねずは、結局、またお地蔵さんの祠の裏に舞い戻るしかなかったのだ。

あれからずっと朝も昼も夜も、祠の裏にたたずんで、ねずはずっと心に問いつづけている。

どうしてこんなことになってしまったのだろう?
パクを助けて、あれほど幸せな気持ちだったのに。
身体に力が満ちあふれ、もっといろんなことができると思っていたのに。
どうしてだろう、そのせいで、さくらママは死んでしまった。パクは死んでしまった。

「なぜ、なぜ、なぜ?」
・・・ねずのちいさな頭のなかで、答えのでない問いとやりきれない思いが渦巻いている。

そもそも、死ぬとはどいうことなんだろう?
ベランダからのぞき見たさくらママの、あの恐ろしいほどにうつろな『ナンニモナサ』
・・・がらんどうのようになってしまったさくらママの冷たい骸のなかに、もう一度、
感情やぬくもりが戻ってくることはないのだろうか?
さくらママから『ナクナッテ』しまった感情やぬくもりは、
パクが力尽きてぐにゃりと地面にへばりついた最期の瞬間に、パクの身体から抜けだしてねずの心を
かすめ去っていった『ごちゃまぜの思念』と、同じものではないのだろうか?

一瞬のあいだにどこかへ消え去ってしまったあの『ごちゃまぜの思念』をつかまえて、
冷たい身体のなかに戻すことができるとしたら? パクもさくらママも、
もと通りのあったかい猫に戻って、公園で暮らせるようになるんじゃないだろうか?
そうすれば、ねず自身だって、またあの満ちたりた日々を取り戻すことができるのに。

 「帰りたい・・・」ねずは、心の底からそう思った。 楽しいとか、幸せだとか、
そんなコトバで飾る必要もないほど、シアワセがあたりまえのように満ちあふれていたベランダに。


  ~その35に、つづく~


コメント(4) 

コメント 4

こいちゃん

コメントは入れなかったけどずーっと3話ぐらいずつまとめ読みしてました
さくらママの死、ぶち子の怒り、パクの死全て自分がかかわったことから起こってしまったこと。そして自分が生き永らえていることに、ねずちゃんの深い哀しみが伝わってきます。

by こいちゃん (2013-06-29 08:25) 

かずあき

こんにちは
今日の大阪は晴れてます。洗濯日和。

ネコにたとえてのお話、なかなかズシンと心にきます。
生死のとくに生きようとする場合、
食べないと。食べるものは生き物を。
by かずあき (2013-06-29 11:49) 

ChatBleu

ねずちゃん、辛いですね。
そんなに苦しまないで、って言ってあげたい。
by ChatBleu (2013-06-29 12:57) 

ミケシマ

死ぬとはどういうことなんだろう?
わたしも兄が死んだ7歳のとき、思いました。
毎晩眠れなくて、両親が起きている部屋へ行って
「死ぬとどうなるの?」って聞いたっけな。両親は困ってた。
ねずには、死を間近に感じないで欲しい。
どうかどうか、シアワセなベランダに戻って、温かく過ごしてほしいです。
by ミケシマ (2020-06-30 21:20) 

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