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第13章 命をつなぐ ブログトップ

その64 [第13章 命をつなぐ]

 「赤ちゃんを育ててくれるメス猫を探すのよ」

 突然、暗闇のなかからささやくような声が聞こえてきた。
声はどこか上のほう、ねずの頭上のずっと彼方から響いてきたように思える。

 聞き覚えのある声・・・

このお寺や墓地じゃなく、あのベランダでよく耳にしていた声。
やわらかいけれどきっぱりと強く、大切なことや、そうじゃないこと。
してもいいことや、いけないことを、ねずに教えてくれた声。

 そう、さくらママの声だ!

ねずは驚いてあたりを見まわした。
「だれ?」ねずは空にむかって問う。「ママ?さくらママがいるの?」

「お乳のでるメス猫を探しなさい」 声は、ねずの問いに答えることなく、ささやきかける。
「もう、ほとんど時間がない。赤ちゃんは、夜明けまでもたないでしょう」

「でも、どうすれば?お乳のでるメス猫なんて、どこを探せばいいの?」

ねずは、くるくると頭を回して墓石の上にぽっかりと広がる夜空を探したが、声の主は
見つからなかった。空はもう晴れて、薄霞のなかに早春の月がまんまるい姿をのぞかせている。

「キン子さんに相談なさい」声は言う。
「彼女なら、きっと知っている」そう言って、声はぷっつりと消えた。

 ねずは、まだしばらくキョロキョロと声の主を探してみたが、もうなんの気配もない。
『ホトンド時間ガナイ』 ・・・さくらママの声が教えてくれたことはほんとうだ。
それはねずにもよくわかっていた。

ねずは声に命じられたとおり、キン子さんを見つけることにした。
ぴったりとくっつきあって、冷たくなりかけているヒメのお腹にへばりついたままの子猫たちに
「待ってて!」とひと声かけると、ねずは再び駆けだした。あたりが暗闇にのみこまれてしまった
いまの時間なら、子猫たちがカラスにさらわれる心配はもうない。

 風のように墓地を抜け、本堂の下をくぐって境内を横切り、一段抜かしで長い石段を駆け下りる。
雨に濡れた石段は滑りやすくて、ねずは何度も足を取られた。
ぴょんと跳びおりた先の石の凹みにうっすらと水がたまっていると、着地した前足の肉球が
ツルッと滑る。 そのたびにバランスを保ってなんとか転ばずに駆け下りていたが、
とうとうあと十段ほどのところで大きく滑った。

 つるり! おっとっとっ!

前足から空中に飛び出して、そのまま宙を舞う。
くるくると二回転ほどまわってスタンと見事に着地を決め、10点満点の自己ベストといきたい
ところだったのだが、勢いあまって飛ばされた先は門の脇の植え込みのなか。
罠のようにからみあった小枝の密集に頭から突っこんだねずは、まるで逆立ちのような格好で
すっぽりとはまりこみ、植え込みのなかで宙ぶらりんになってしまった。

「あれまあ、雨が止んだと思ったら、こんどはおマヌケな猫が降ってきたのかい!」
植え込みの下で、キン子さんが叫んだ。

 ガサゴソガサ、バキバキバキ・・・ もがきにもがいてようやく小枝の罠をすり抜けると、
ねずはドスンと地面に落ちた。細く尖った小枝のおかげで顔中がキズだらけになっている。
痛む鼻先を舐めると、口のなかに血の味が広がった。

「白線ちゃん、アンタ、ほんとーに変わった子だね。空を飛ぶのが趣味なのかい?」
キン子さんがのぞきこむ。

「あの、あの、あの、あの!」 ねずはびっくりしたのと、痛いのと、
こんなにもすぐにキン子さんが見つかったのとで慌てふためいて、またしても、しどろもどろ。
せっぱつまっているというのに、ろくな説明もできないありさまである。

 それでもひとつ大きく息をして、ねずは事の顛末を話はじめた。


        ~その65に、つづく~


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その65 [第13章 命をつなぐ]

「ヒメが死んじゃったの。赤ちゃんを残して。
 一匹はカラスにさらわれたけど、二匹はまだ無事。
 だから、お乳のでるメス猫を探せって。さくらママの声が聞こえたの。
 キン子さんに相談しろって」

・・・キン子さんに説明しながら、ねずの目からまた涙があふれでた。
ヒメの濡れた亡骸と、まだそのお腹にしがみついている子供たちの姿が目に浮かぶ。

「あれまっ!じゃ、赤ちゃんは二匹、まだ生きてるんだね!お墓にいるのかい?生後何日?」

「うん、墓石のうしろにいる。生まれて三日目」

「そりゃ大変だ!一刻も早く、だれかが抱っこしてやんなきゃ!このままじゃ凍え死んじまうよ!
 お乳のでるメス猫・・・???」 そうしてキン子さんはしばらく考えて、ふと目を輝かせた。
「アンタ、ぴったりのオンナがいるよ!」

「えっ、ほんとですか?」ねずは聞き返す。 そんな猫って、いったいどこに?

「アンタ、前にここへ来るとき、坂道の途中で親子に会ったって言ってただろう?
 あの母猫は『りりぃ』っていって、子育てのベテランなんだよ。
 アンタが会った双子はそろそろ自立できる年頃になって、もう、りりぃがつきっきりで
 面倒を見るほどじゃない。でも、ついこのあいだまでお乳を飲ませてるって言ってたからね、
 このままその赤ん坊たちだって、育てられそうなもんじゃないか」

 りりぃママ! ねずは思い出した。シャーッという鋭い威嚇の声。憤怒の眼。
鼻先をかすめた爪。やがてねずの不作法を許し、おだやかに子供たちを見つめた愛情深い横顔。
そして、鈴のようにかわいらしく響いた双子たちのユニゾン。

「りりぃママ!」息せき切って、ねずは叫ぶ。
「りりぃママは、まだあの坂の途中にいるの?抱っこしてくれる?ねずが子猫を連れていけば?」

「まぁ、まぁ、アンタ、ちょっとは落ちつきなよ」 キン子さんはいたって冷静である。
「坂の途中の藪は、お彼岸の前にきれいに苅られちまったんだよ。
 まぁ、あたしたち猫にとっては寝ぐらにするのに都合のいい藪だったんだけどさ、
 人間にとっちゃ見苦しかったんだろう。 ここらあたりはお彼岸になると、毎年なにかと
 小ぎれいにされちまって住みづらくなるんだよ」 キン子さんはちょっと肩をすくめてみせた。
「で、りりぃは、いまは双子を連れて公園に住んでる。そろそろ双子も子離しの時期だし、
 公園で一人前に暮らせるように猛特訓中ってわけさ」

「公園? あの公園なら、ねずはよく知ってる!ねずが行って、頼んでくる!」
・・・ねずは、いまにも駆けだしそうな勢いだ。

「まぁ、まぁ、待ちなよ。りりぃは気が強くてね、あんまり猫づきあいがよくないんだ。
 アンタなんかじゃ相手にされないだろうけど、古なじみのあたしならなんとかなるだろう。
 だから、あたしが先に公園に行ってりりぃに頼んでおくから、アンタはお墓に戻って、さっさと
 赤ちゃんを公園まで運んできな」 そう言って、キン子さんは、ねずの眼をはっしと見据えた。

「アンタ、赤ちゃんの運び方、わかってんのかい?
 生まれたての赤ちゃんっていうのは、首筋のところをくわえて運ぶんだ。
 落とさないようにしっかり、でもやさしくくわえるんだよ。
 二匹いっしょは無理。 一回に一匹ずつしか運べないからアンタは二往復しなきゃなんない。
 やっかいなのは、そこんところさ。 赤ちゃんが二匹でくっついている時はお互いの体温で
 あっためあって凍えずにいられるけど、アンタが一匹目を運んでいるあいだ残されたもう一匹は、
 アンタが戻ってくるまでひとりぼっちになっちまう。その時間、命がもてばいいけどね・・・
 とにかく急ぐんだよ」

 そんなふうに言い残すと、キン子さんは、まっ黒な毛をひらりとひるがえして、ひとっ跳びで
暗闇の道に消えていった。 残されたねずは、赤ちゃんを運ぶという大役を肝に銘じながら、
大急ぎでお寺の石段を駆け昇りはじめた。

      ~その66に、つづく~


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その66 [第13章 命をつなぐ]

「ひとりでは無理」 ・・・また、頭上から声が聞こえてきた。
「ひとり残されたら、子猫はきっと死んでしまう」

「じゃ、どうすればいいの!」 ねずは、なにも見えない空に向かって叫んだ。

「ぶち子を呼びなさい」声は言った。
「ぶち子を呼んで、ふたりで一度に運びなさい」

 声とともに、ねずの頭の上、はるか彼方のまっ暗な闇のなかに、ぼんやりと白い影が浮かんだ。
その影は、早春のおぼろ月のようにも、ほんのちょっとだけ淡い三毛のぶちがまじった
さくらママの美しい白い猫影のようにも見えた。

 さくらママが居てくれる・・・ねずは、直感的にそう悟った。
さくらママといっしょに、ぶち子を呼びにいくのだ・・・ ねずは、昇りかけた石段の上でUターンし、
キン子さんの後を追うように坂道を下りはじめた。

お寺の門をあとにして急な下り坂を一気に駆け抜け、
りりぃママが暮らしていたフェンスの脇を風のように通りすぎる。久しぶりに通るその道は、
お地蔵さんの祠へ、そしてあのベランダへとつづく道。
黙々と走るねずの頭上には、まるで月の光のカタマリのような白い影が寄り添うように漂っていた。

 お地蔵さんの祠まで来ると、ねずは息を切らしながら立ち止まった。
ほっとひとつ息をして、なつかしいベランダを見上げる。 ・・・そろそろ夜中の二時頃だろうか?
窓の灯りは消されていたが、月の光に照らされてベランダの猫箱がうっすらと見てとれる。

 ぶち子があのなかで、眠っている・・・ ねずは思い、そして思い出す。

背中あわせで眠った、あのぬくもりを。ここちよい音楽のような、やすらかな寝息を。
ときどきぶち子が寝返りを打って、伸ばした手足の肉球でぶにゅっとねずの背中を押した、
あのやわらかな感触を。

 そしてまた、ねずは思う・・・ ぶち子は、まだ怒っているのだろうか?
頭のなかのスクリーンに、あの日ねずをベランダから突き飛ばしたぶち子の顔が
まざまざとよみがえった。 怒りと憎しみに満ちた眼と。 悲しみに閉ざされた氷の横顔と。

ねずがベランダに帰れなくなって、ひと月と半分あまり。・・・なぁんだ、まだ、ひと月半?
たった、それっぽっち? いいえ、絶対にそうじゃない。
ねずにとって、それはあまりにも長くて重いひと月半だったのだ。

「勇気を出しなさい、ねず」耳もとで、声がささやいた。
「ぶち子は、きっとあなたを待っている」

その時、ベランダの薄暗闇のなかで、なにかが動いた。
ちいさな茶色い鼻面が、ベランダの柵のすきまからのぞく。

「ママ・・・?ママ・・・?」 ぶち子の声が聞こえた。
やっぱりぶち子も、さくらママの気配を感じているのだ。
ぶち子は柵から首をのばし、ママを探してあちこちを見まわしている。

・・・そして、見つけた。
お地蔵さんの祠の脇にぽつんと立ちつくしてベランダを見上げている、なつかしいねずの姿を。

「ぶっちゃん・・・」ねずは、ちいさな声で鳴いた。
「ねずちゃん・・・」ぶち子も、それに答えるように鳴く。

ふたつの視線が重なりあった。
ベランダの上と下、二十メートルほどの距離を隔てて、ふたりはしばらくのあいだ静かに見つめあう。
お互いの胸に言葉にならない『ナニカ』があふれ、
複雑にからみあった心の結び目がゆっくりとほどけていった。


           ~その67に、つづく~


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その67 [第13章 命をつなぐ]

「さぁ、早くおし、子供たち!」天上の声が大きく響いた。
「あなたたちには、救わなければならない命があるのよ」

 ママの声に、ぶち子は弾かれたように反応し、大急ぎでベランダから降りてきた。
フェンスの上から裏庭へとひとっ跳びの大ジャンプを披露し、するするとねずの横に駆けつける。

「さぁ、行こう!」ふたりは同時に声をかけあい、急な上り坂に向かってスタートを切った。
「ヒメの子供たちを助けなきゃ!」
「うん、わかってる」
「ふたりでいっしょに連れて行かなきゃ!」
「うん、わかってる」

まるでさくらママからテレパシーでも受けたように
ぶち子はなにもかも知っていて、説明などいらなかった。 あとは懸命に走るだけ。
でも、こんどは、ふたりいっしょだもの。
濡れた上り坂も、百八の石段昇りも、まるっきり苦になんてならない。

 坂道から石段を昇りきる道のりを一度も休まずに走りぬいて、ふたりは墓地へと飛びこんだ。
ひと足遅れているぶち子を尻目に、ねずはまっしぐらに子猫たちが待つ墓石に駆け寄る。
仕切りブロックの上からのぞくと、子猫たちはしっかりと二匹で抱き合ったまま静かに眠っていた。

 よかった・・・安堵の思いが身体中にわきあがり、思わずその場にへたりこむ。
すっかり息が上がって胸が苦しく、立ち上がることもできずに酸素を求めて大きくあえいだ。
一歩遅れてたどりついたぶち子も、ねずの横で息を荒げている。
二、三分もかかってようやく呼吸を整えると、ふたりは顔を見あわせてにっこりと笑った。

「こんなにちっちゃいんだよ、生まれて三日の子供たちって」ねずが言った。

「なぁんか、ハツカネズミみたい。っていうか、エイリアン?
 なんだか耳も横っちょについてるし、猫じゃみたい」・・・あいかわらず、ぶち子は皮肉屋だ。
それでも子猫たちに見入っているぶち子の顔には、「でも、かわいいね」って書いてあった。

「いそがなきゃ」ぶち子が言った。
人間が起きだしてくる夜明け前までに、子猫たちを連れていかなければ。
「ねずちゃん、どうすればいいの?」

「えっーと・・・」ねずはキン子さんの教えを思い出し、そっと片方の赤ちゃんの首筋をくわえてみる。
くわえたままおそるおそる持ち上げると、赤ちゃんは自分でくるんと身体を丸めて、
ねずの口元にちいさく収まった。

「首筋を、そっとくわえるの」 ひとまず赤ちゃんを下におろして、ぶち子に教えてやる。
「そっと、やさしく。でも、落とさないようにしっかりと。
ねずがこっちの大きい方の仔を運ぶから、ぶっちゃんは、こっちの黒い仔をお願い」

 ふたりは、そろって子猫を口にくわえた。
生後三日の子猫っていったら、たったの百グラムとちょっとぐらい。
それでも、ねずたちのちいさなあごには、それなりにずっしりとくる重さである。

ずっしりと感じられるのは、子猫たちの体重だけではない。
それは命の重さ。 ・・・これから育まれるだろう、この仔たちの一生の重さだ。

じゃ、行くよ! ふたりは視線を交わして合図を送り、同時に走りはじめた。子猫をくわえたまま、
たったいま昇ってきた石段をもういちど降りて、長い坂道を下らなければならない。
さらにお地蔵さんの祠を通り過ぎて、魔物が行き交う道路を渡り、
キン子さんとりりぃママが待っている公園まで走りきるのだ。
ひと足先を駆けるねずのあとを、ぶち子が追いかける。
風のように疾走するふたつの猫影を、早春の月がやさしく、やわらかく照らしていた。

       ~その68に、つづく~


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その68 [第13章 命をつなぐ]

 ようやくたどりついた公園の階段を昇っていくと、
しびれをきらしたキン子さんがいちばん上の段に仁王立ちして待っていた。

「アンタ、遅かったわね~」 登ってくるねずを見下ろしながらイライラと言う。
「こんなに時間かかっちゃってんじゃ、残してきた仔は、もうダメだよ」

 ねずは、もう一匹もひと足遅れでぶち子が運んできていることを説明したかったのだが、
子猫をくわえたままじゃ、しゃべれやしない。
へとへとになりながらいちばん上の段まで昇り、子猫をそっと地面において、階段の下をふり返る。
ねずから十段ほど遅れて、子猫をくわえたぶち子の姿が見えた。

「あらら~、ありゃ、アンタの友達かい?」
ねずといっしょに階段下をのぞきこんだキン子さんが驚いて言った。
「ははぁ、助っ人を頼んで二匹を同時に運んだんだね。アンタも、ちっとは知恵がまわるじゃないか。
 こりゃ、よかった!まったくお手柄だよ、アンタ」

 ぶち子が追いつくのを待って、三匹はすぐにりりぃママの寝ぐらへと向かった。
こんどの子育てのためにりりぃママが選んだのは、公園の道具小屋のすみっこにある
モップ置き場である。モップ置き場には全部で六本のモップが立てかけてあったが、
実際に使われているのは手前の二本ぐらいで、奥の方の古びたモップはもう長く使われていない。
だからモップの先の布が乾いていて、子猫たちのちょうどいいベッドになりそうだ。

「さ、りりぃ。悪いけど、ちょいと面倒みてやっておくれよ。
あたしはこの仔たちの母猫を知ってるけど、鈴付きくずれのお行儀のいい子だったよ。
産んで三日しか抱っこできなかったんじゃ、そりゃ無念だろうけどさ。
アンタが生かしてやってくれれば、あの子の魂も浮かばれるってもんだよ」

 ねずとぶち子は、モップ置き場の奥に陣取ったりりぃママの前に、そっと二匹の子猫を置いた。
りりぃママは黙ったまま、ねずとぶち子をじろりと一瞥し、
床に丸まったままの子猫たちの匂いをゆっくりと時間をかけて嗅いだ。

「ふん」と、りりぃママは鼻を鳴らした。
「こっちは男の子だね」シルバーグレーの身体の大きな仔を見ながら言う。
「それから、こっちは女の子。あたしはまっ黒な仔を産んだことがないんだよ」

 ・・・そのとき、おとなしく丸まっていた子猫たちがとつぜん騒ぎはじめた。
母猫のようなぬくもりを感じたのか、それとも、りりぃママからはお乳の匂いがするのかもしれない。
ミュウミュウと鳴き声をあげ、手足をバタつかせて、母猫のやわらかいお腹と乳首を探しもとめる。
りりぃママはちょっと微笑んで、一匹ずつの鼻面に自分の頬をこすりつけながら言った。

「ほら、この匂いを覚えなさい。これからしばらくは、この匂いがおまえたちの母親になるんだから」

 二匹の子猫たちは、新しいママの匂いにとまどうこともなく、
お腹の毛皮を乱暴にかきわけて乳首にむしゃぶりついた。
すぐさま、ちゅくちゅくとお乳を吸う音が響く。
半日以上もお乳をもらえず、きっと空腹で目がまわりそうだったにちがいない。

 その音は、もう、そんなにかんたんに止みそうになかった。

        ~その69に、つづく~


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その69 [第13章 命をつなぐ]

「さ、あとはりりぃにまかして、あたしたちは退散しないと」とキン子さんが言った。
「こんなとこに猫がたむろしていると、公園掃除の人間たちに見つかっちまうよ」

 三匹は道具小屋をあとにした。キン子さんは「じゃ、またね」とも言わずに足早に姿を消し、
残されたふたりは、自然と肩をならべて公園の入口へと向かう。

ねずもぶち子も、なにか大きな仕事をやりとげたあとの呆けたような脱力感にとらえられていて、
ただ黙々と足を運ぶばかり。 夜明けにはまだ遠く、公園は静けさと闇に包まれていた。

「さくらママ、いたよね?」公園の階段を下りながら、ねずが言った。
「さぁ、わかんない」ぶち子の答えは素っ気ない。

それでも今夜、さくらママがふたりのそばにやってきたことは確かだし、
そのことは、ぶち子にもはっきりとわかっているはずなのだ。

「さくらママ、帰っちゃったかな?」
ねずは、生い茂った木々の暗い影のすきまから夜空を見上げてみる。 でもそこには、
葉っぱのすきまにちらりちらりと、星たちのかすかな瞬きがのぞいているだけだった。

「そんなの、知らない!」ぶち子は言って、ずんずんと早足で階段を下りていった。

ねずはその後ろ姿を、なつかしい気持ちで眺めている。
しなやかな背中とおっとりと動くお尻、長い尻っぽがひらひらと揺れて、
まるでねずに「おいで!」と合図しているみたい。

 ねずは、しばらくぶち子の後ろ姿に見とれていたが、ぶち子が階段を下りきって
道路を渡りはじめたのを見るとダッシュで追いかけ、道路を渡った先で追いついて、
どしんとぶち子のわき腹に体当たりをくらわせた。

「いたぁい!」ぶち子は叫んで、仕返しにねずの右耳を噛んだ。
ねずはひょいっと身をかわして反対側に回り、こんどはぶち子の背中に乗っかる。
ぶち子は身をくねらせて仰向けに寝っころがり、ねずを抱え込んで猫キックを浴びせた。

 しばし、まるでやんちゃ盛りの子猫のように、ふたりはくんずほぐれつもつれあった。
・・・そして、感じた。・・・お互いの鼓動を。・・・ぬくもりを。・・・再び会えた喜びを。

そんなふうにもつれあいながら、ふたりはお地蔵さんの祠までやってきた。
ここから左側の裏庭に入れば、それはベランダの猫箱への帰り道。 まっすぐ行けば、さようなら。
ふたりは立ち止まり、そして顔を見あわせる。

「・・・帰ろう?」ぶち子は言ったが、ねずはなんにも答えてくれない。

ねずは、じっとぶち子を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。
「ねずには、もうひとつだけ、やんなきゃいけないことが残ってる」
そう言って、ちらりと坂の上に目をやる。
「その用事が片づいたら、戻ってくるから。きっと、ここに戻ってくるから」

ねずはぶち子にそう言い残すと、またひとり、坂道を駆け上がっていった。


その日、二往復目となった坂道と石段昇りはきつかったけれど、ねずは休み休みなんとか昇りきった。
もう空が白みはじめていて、境内には小僧さんの姿が見える。
早くしないと! ねずは思って、見つからないように墓地へと急いだ。

墓地にはいったら、右奥へ。ヒメが横たわっている墓石へと向かう。
さっき子猫たちを連れていったときのまんまに、冷たく固くなったヒメの亡骸がそこにはあった。

ねずはひょいと仕切りブロックを跳びこえて、ヒメの傍らに立ち、その顔をのぞきこんだ。
すこし苦しそうに半開きになった口、濡れて乱れた毛並み。
とても安らかとはいえない最期だったけれど、目は静かに閉じられて、眠っているようにも見える。

ねずは、ヒメがすこしでも生前のあの美しかった姿に戻れるように、乱れた毛を舐めて整えてやった。
顔から頭、そして背中からわき腹へ。首筋の毛を舐めながら、ゆるゆるになった首輪をくわえてみる。
ちょっとひっぱると、首輪はちりんちりんと金色の鈴を鳴らしながら、するりと抜け落ちた。

抜けた首輪を脇におき、ヒメの全身の毛を整えおえると、ねずは亡骸を落ち葉で埋めはじめた。
イヤなカラスがつつきにこないように。人間たちが見つけて、どこかへ連れていかないように。
ねずは横っちょの落ち葉だまりを前足で器用に掘りかえし、後ろ足で蹴ってヒメの身体にかけていく。
落ち葉だまりはかなり深くて、あたりにはたっぷりの落ち葉があったけれど、
ヒメの身体を完全に隠してしまうのは、けっこう骨の折れる作業だった。
ヒメの亡骸を埋めてしまうと、ねずは仕切りブロックの上からささやきかけた。

「子供たちのことは、もう安心。だから、ここで眠ってて。
 そして、いつか目が覚めたら、きっと子供たちに会いに来て。
 あの子たちは公園にいる。そして、ねずも、あのへんにいるから」

そしてねずは、ヒメの首から抜け落ちた、古ぼけたピンクの首輪をそっとくわえて走りだした。
・・・行く先?・・・ それは誰にも教えられない、ねずだけの秘密。(!)

           ~第14章(最終章)に、つづく~


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