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第5章 公園ゴハン ブログトップ

その18 [第5章 公園ゴハン]

 十二月に入ると、朝晩の気温がぐんと下がりはじめる。
凍てつく冬は、野っぱらで暮らす猫たちにとって、どこかしら暖かく眠れる場所を確保することに
気をまわさなければならない、やっかいな季節だ。

でも、ご心配なく。ベランダのふたり組に、そんな努力は必要ナスビ。
なんてったってベランダには猫箱があるし、いまや箱のなかにはふわふわでぬくぬくの
シャギーなクッションが敷かれているのだ。このちょっと上等そうなクッションは、
ねずとぶち子が『タマ取りの試練』から帰ってきた日に用意されていた。

そう、ふたりとも『つるつるのお腹』に『五センチの縫い目』をつけて戻ってきたあの日から。

 あの日のことを、ねずは、あんまり覚えていない。
往生際の悪い山猫ぶち子がキャリーケースに納まって、川嶋さんが帰っていったあと、
ふたりはしばらく診察室の片隅に置き去りにされていた。

その間は、不安と恐怖でただただ震えていたのだけれど、夕方になってケースから出されて、
『マスイ』とかいう注射を打たれてからの記憶はまったくない。
気がついたのは翌朝で、またケースのなかに寝かされていた。
ただし、お腹のまっ白な毛はつるつるに剃られていて、下腹部のあたりに縫い目がついている。
縫い目の部分はベッタリと赤茶色に染まっていて、消毒液の強いニオイが鼻をつく。
痛みは感じなかったが、グロテスクで怖かった。

ぶち子も右横のキャリーケースのなかで目を覚ましていたが、怯えているのか、むくれているのか、
ねずの方を見ようともしない。ねずにしたって、なんだか身体が重くてだるいし、
何かを考えたり話をしたりする気分じゃなかったので、ぶち子の方を見ないようにしていた。

 そうこうするうちにお迎えがきて、こんどはキャリーケースのまま、またゆさゆさと運ばれた。
着いた先はいつものベランダで、キャリーケースが開けられると、ねずは大あわてで飛び出し、
一目散に猫箱に逃げ込んだのだ。
猫箱にもう扉はなく、かわりにシャギーなクッションがあった。

ねずはちょっと不安で、見慣れないクッションを前足で触りながら注意深く匂いを嗅いでみたが、
べつにヤバそうな気配はない。新品らしいクッションのポリエステルの匂いにまじって、
ほんのりと窓の人の匂いがした。

 用心深いぶち子は、キャリーケースを出されると、まずベランダから逃げ出した。
どこへ?うーん、たぶん、隣のマンションの床下の、通風口の穴のなかへ。
もしくは、裏庭の茂みのどこかへ。
そして三時間ほど気持ちを静め、「もう、ホントに大丈夫そうである」というぶち子なりの決断を
下したあと、おそるおそるベランダに戻ってきて、猫箱のねずの隣にもぐずり込んだ。
 そういう子なのだ、ぶち子って猫は。

 「ぶっちゃん、このクッション、あったかいね」帰ってきたぶち子に、ねずは言った。
「それに、このふわふわの毛!ね、ね、これって、ママに抱っこされてるみたい?」

 「ぜんぜん違う」ぶち子はふくれっ面だ。そして、ねずに当たり散らす。
「あんた、ママ、いないくせに!ママの抱っこなんか、知らないくせに!ママの抱っこは、
こんなクッションみたいじゃなくて、もっとずっとあったかいんだから!
もっとすっごく柔らかいんだから!もっとぜんぜん安心なんだから!」

ぶち子は言いたいだけ言うと、クッションに顔をうずめたまま、もう顔を上げようとしなかった。
もしかすると、ぶち子は泣いていたのかもしれない。

 ・・・結局、今日、クッションがあってよかった。ねずはそう思った。
ぶち子は「違う」と言ったけれど、このやわらかな毛足に包まれていると、不思議に心が
まあるくなった。まるで生まれたばかりの子猫が、ママの懐に抱かれているみたいに。

~その19に、つづく~


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その19 [第5章 公園ゴハン]

 あの日からひと月あまりが過ぎて、ねずはそんなこともすっかり忘れている。

お腹の縫い目はきれいにふさがって、つるつるに剃られていたまっ白な毛も
だんだん伸びはじめた今日この頃、ちょっと気に入らないのは、お腹の毛をグルーミングすると
まだ溶けていない縫い目の糸がプツプツと舌にあたってジャマくさいことぐらい。
でも、このプツプツがどうして出来ちゃったんだっけ、などと突き詰めて考えて、
あの日の恐怖感を思い出すことなど、まったくない。

・・・トラウマ?それって、虎と馬のMIXですか?
ちっぽけな脳ミソも、こんなときはうらやましい。イヤなことは、あれもこれもそれもどれも、
忘れてしまえばいいのだから。

ベランダ猫としてひとつの試練を乗り越えたねずは、なんだか精神的に少したくましくなった感じだ。

このあたりに居ついてから、そろそろ半年。
暮らしにも慣れ、ご町内の大人猫にも存在を認められ、行動半径もぐんと広がった。
もともと好奇心旺盛でものおじしない性格のうえ、いまや左耳にちいさな切り込みのしるしをもつ
(憧れのキラキラはつけてもらえなかったのだ)、リッパな『タマ取り済み』である。
いつものゴミ捨て場を通り越した、もうひとつ先のゴミ捨て場や、
ベランダのマンションの裏手にある大きな公園にまで足を伸ばすようになった。

 一世紀以上も前に建てられたというその公園は、観光ガイドブックにも載っているほどで、
ここらあたりの名所である。丘陵地に沿ってひと山がすっぽりと公園になっていて、
樹齢を重ねた大木たちの濃い緑に包まれたささやかな森のなかに、
遊歩道の階段や小道がしつらえられている。
全体的に斜面だが、ところどころにちょっとした広場もあって、お子さま向けの遊具やお砂場も
用意されているのだけれど、この公園で子供たちが遊んでいる姿はあんまり見かけない。

なぜかというと、生い茂った大樹のせいで日当たりが悪く、ジメジメと湿っぽくて、
昼間でも陰気くさい雰囲気だからだ。というわけで、人間たちに人気薄の公園、すなわちそれは、
猫たちの天下である。

 この公園を根城にしている猫の代表といえば、まずは、片目傷のゴン。
ゴンのお気に入りスポットは、公園の落ち葉を集めてまわる時に使う手押し車のなかだが、
昼間は使われている時が多いので、そこに入ってのんびり過ごせるのは夕方以降だ。
でも、たいていは昼間集められた落ち葉がこんもり載せたままになっていて、寒くなるこの季節、
絶対に他の猫に奪われたくない寝ぐらなのだ。
もちろん、おなじみの三毛ねえさんやアイゾウさんも、ご近所の猫たちはみんな
この公園を御用達にしている。

 猫たちがこの公園にやってくるのは、利用者が少なくて追っ払われないから、
というのも理由のひとつだが、もちろんそれだけではない。
地域猫ネットワークの川嶋さんじゃないけれど、猫が集まる場所には、必ず猫好き人間の影あり!
・・・というわけで、この公園は、ご近所のノラ猫のエサやり場になっているのである。

 ねずがそのことを知ったのは、ごく最近になってからだ。
公園は、ねずたちが暮らすマンションの建物をぐるっと回った反対側にあって、
それほど広くもない住宅街の裏道なのだけれど朝や夕方など時間帯によってはクルマの往来が
激しくなる道路をひとつ、渡らなければならない。

ブォ~ンとエンジン音を響かせて迫りくる自動車は、まだまだ未熟な若猫にとっては、
まるでおっそろしい魔物!

食べものにも寝ぐらにも困っていないねずにとって、魔物に襲われそうなキケンを侵してまで
道路を渡る気など、さらさらなかったのだ、いままでは。


~その20に、つづく~


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その20 [第5章 公園ゴハン]

 公園にねずを誘ったのは、アイゾウさんである。
タマ取りから帰ってきて、一週間ほどが過ぎたころだ。

タマ取り済みになったねずに、アイゾウさんはぱったりとエロ攻撃を仕掛けてこなくなった。
そのかわり、というかなんというか、いままでのように姪っ子の友達といった感じの
子供扱いではなく、一人前の仲間猫扱いをするようになった。

「なぁ、ねず。裏の公園でメシ食ったこと、ある?」
「えっ、ないよー。あっちにも、ゴハン、あるの?」
「あるさぁ、朝と夕方、二回出てくるんだよ」

「へぇー」ねずは、驚いた。ゴハンが食べられるのは、
ベランダと、ゴミ捨て場と、お地蔵さんの祠のなかだけだと思っていたのだ。

ねずとしては、ほぼベランダのお食事で満たされているので、べつによそのゴハンをいただきに
足を伸ばさなくてもいいのだが、そこはソレ、隣の芝生はナンとやら。
その公園ゴハンもちょっと味見してみたい気分ではある。

「でも、あっちは、魔物が通るじゃん・・・」ねずはクルマが恐ろしいのだ。

「ハハハ、魔物って、クルマのことか?あんなの、ぜんぜん平気だって!」
アイゾウさんは、ねずの小心を笑いとばした。

「道路を渡る前に耳をすまして、ブォ~ンって鳴き声がしないかどうか確かめるんだ。
オレたちの耳で、声がキャッチできないようなら大丈夫。
でも、道路を渡るとき、モタモタしちゃダメだぜ。立ち止まらずに、一気に渡れ。
もし道の途中でブオ~ンって声が聞こえてきても、怖くなって立ちすくんじゃ絶対にダメだからな」

 その日の夕方、アイゾウさんの後ろをついて、ねずは初めて道路を渡った。
ブォ~ンが来ないかどうか耳をすまして、何回も首を振って右と左を目視して、
絶対魔物が来ないチャンスはいま!
目をつぶって息を止めて、全速力で走って、反対側の歩道でやっと大きくひと息つくと、
アイゾウさんが大笑いしながら待っていた。

 公園の入口は、急斜面の崖に沿ってゆったりと曲がりながら登っていく階段である。
階段の右側はこんもりと大小の樹木におおわれた崖になっていて、
ちょうど人間の胸ほどの高さまでの石垣が築かれている。
人間の胸ほどの石垣、というのは、それなりの運動能力をもつ大人の猫なら
(ただし体重オーバーのメタボ猫は除く)ぴょんと跳びのることができる高さである。

ねずは、息をととのえながら、階段を見上げた。時刻は夕方の五時をすこし回ったところ。
十二月の五時といえばもう薄暗く、昼間でも暗い公園の階段は
すでにすっぽりと夜の闇に包まれているかのよう。
そんな闇を猫の目で透かしてみると、あらら、どうだろう。

石垣の上にぴかり、ぴかり、ぴかり。

いろんな色に光る猫の目が、一定の距離を保ちながらならんでいる。・・・その数、ざっと二十個あまり。
つまり十匹以上の猫が、階段や石垣や、石垣のさらに上の崖の斜面にまで集まっていた

「あれまッ」ねずは驚いて、ちいさく声を上げた。「あれまッ、あれまッ、あれまッ」

「ほら、今夜も、ご町内のはぐれ者大集合さ」アイゾウさんは浮かれて言った。
「ベランダ姫さま、下々の晩餐に、ようこそ!今宵は、ごゆるりとお楽しみを」

 軽やかな足どりのアイゾウさんにくっついて、ねずも公園の階段を登っていった。
まず、最初に目が合ったのは三毛ねえさんだ。石垣の上からねずを見下ろしている。

「おや、めずらしいお客じゃないか。あんた、タマ取りが終わって、ひと皮むけたってウワサだよ」

「あぁ、世間知らずのチビか。おい、アイゾウ、がきんちょ連れて浮かれてんじゃねぇぞ」
ゴンも茶々をいれてくる。

「や、きょうは遠足の保護者っスよ」年長猫の口撃を軽くかわしながら、
アイゾウさんは階段をすたすたと登っていく。
ねずは、遅れてはタイヘンとばかりに急ぎ足で後をつづいた。

~その21に、つづく~


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その21 [第5章 公園ゴハン]

 三毛ねえさんとゴンをのぞいて、ねずの知っている猫はあんまりいないようだ。
チラッと見かけたことぐらいはあるけれど、名前も知らない大人猫たち。そんな猫たちが、
自分たちのエサ場に侵入してきた新顔を冷ややかな目で眺めている。
ねずは、絶対にアイゾウさんから離れまい、と心に誓った。

さらに階段を登ると、暗闇に白くてきゃしゃなシルエットが浮かんでいた。
久しぶりに見る、さくらママの姿だ。ねずは、ちょっとうれしくなった。
「さくらママ!」思わず声をかける。
でも、さくらママはちらっと一瞥しただけで、顔をそむけてしまった。

「冷たいじゃないか、さくら。娘の友達だろ?」アイゾウさんが言う。

さくらママは、そしらぬ顔で丸くなっている。
「兄さんも物好きよね。わざわざ自分の食卓に、よその子を招いてやるなんて」

「オンナって、意地悪だよな。オンナ同士は、とくにキツイぜ。おまえ、ぶち子の様子も
ぜんぜん見に行ってないだろ?どうしてるかって、気になんないのかよ?」

「あの子には、あのベランダを明け渡してやったんだよ。それにいくら子供っていったって、
一人前のメス猫になったら、もうテリトリーを争うライバルだからね。
オンナは自分の家を自分で探しだして、そこで子供を産んで育てて、ぜんぶ自分ひとりの力で
守っていかなきゃならないんだもん。子種だけ蒔いてぶらぶら暮らしていればいいオトコどもとは、
生きる気迫がちがうのよ」

さくらママの言葉に、アイゾウさんはちょいと右耳を倒して見せて、ねずをうながして先に進んだ。
そして、点々とならんだ猫列のいちばん上までくると、石垣のうえに
ひらりと跳びのって腰をおろした。ねずも、慌ててアイゾウさんの横に跳びのろうとしたが、
アイゾウさんのように軽くひとっ跳びというわけにはいかない。
せいいっぱいジャンプして、石垣のはしっこに前足をかけて、ようやく身体を持ちあげた次第。

「ここで待つんだ」アイゾウさんは言った。そう、待つのだ。ひたすら。彼女が来るのを。

 ほどなく、彼女はやって来た。猫列のいちばん上にいるねずには見えなかったが、
アイゾウさんには分かるらしい。「ホラ、来た」というアイゾウさんの言葉とともに、
階段の下のほうから順番に猫たちの騒ぎがはじまった。

ミニャオン!三毛ねえさんの、なんだか気恥ずかしいほど甘ったれた声が聞こえてくる。

「あらー、三毛ちゃん、今日は階段の下までお迎えに来てくれたのぉ?ゴンちゃんもいるのねー。
あらあら、タマちゃん、あんた昨日から見かけなかったけど、どうしてたの?」

甲高い声で絶え間なくしゃべりながら、両手に大きなビニール袋をひとつずつぶらさげた女の人が、
階段を登ってきた。石垣の上や崖の斜面で待っていた猫たちが次々に飛び降りて、
彼女のまわりにまとわりつき、階段を登る彼女のうしろからぞろぞろと隊列をなして歩いてくる。

その様子はさながら、不思議な笛で動物たちを呼びよせる、どこかの童話の笛吹少年のようである。

「さぁ、いよいよ晩餐会のはじまりだ。ねず、オレたちも行こうぜ」
アイゾウさんはそうねずに声をかけると、ひらりと石垣から飛び降りて、猫の行進に加わった。

~その22に、つづく~


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その22 [第5章 公園ゴハン]

 アイゾウさんはさっさと行ってしまったけれど、ねずは、石垣の上ですこし躊躇していた。
初めての人間、そして、不気味な行進。・・・あの隊列に、いきなり加わってもいいものだろうか?

ねずは、目の前をみんなが通り過ぎてしまってから、ゆっくりと石垣から飛び降りた。
そして、行進からすこし距離をおいて、目立たないように後を追った。

 行進の終着点は、階段を登りきったところにある、ちいさな広場の片隅である。
広場といっても、丘の斜面を段々畑のようにけずって、むきだしの黒土の地面を平らにしただけの
スペースだが、古ぼけた外灯の下にベンチがひとつ、ひっそりと置かれている。
女の人は、もってきた袋をベンチの上に置いて、なにやらガサガサと取りだしはじめた。

まず出てきたのは、大量のお皿である。
コンビニのお惣菜などに使われている、プラスチック製のトレーだ。
色もカタチもまちまちのトレーが、そう、二十枚ほどもあるだろうか。
それが、ふたつあったビニール袋の片方にぎっしりと詰められていた。

「あれま、お皿のオバサンだ・・・」
その様子を、ベンチからすこし離れた生け垣に隠れて見守っていたねずは思った。

次に、もう片方のビニール袋が開けられた。かたずをのんで見守る猫たちが、一斉に息をのむ。
ビニール袋から取りだされたのは、缶詰が五個と、ドライタイプのキャットフードの
一・五キロ入り袋がひとつ。そして、プラスチック製のスプーンだった。

すべてのものを取りだしてベンチの上に並べると、お皿オバサンは、ぐるりと猫たちを見まわした。

「イチ、ニ、サン・・・ぜんぶで十二匹!
まぁ、みんな、今夜はよく集まったねぇ。こりゃ、缶詰が足りないよ」
そんなことを言いながら、お皿オバサンは、もってきた五個の缶詰をひとつずつ開けはじめた。

パカン。缶詰が開くと同時に、マグロの水煮のかぐわしい匂いがあたりに広がる。
十二匹の猫軍団は、もう、じっとしてなどいられない様子だ。
ニャーニャー鳴いて催促するヤツ、ベンチに飛び乗ってまだ開いていない缶詰を奪おうとするヤツ。
できるだけオバサンの近くに陣取っていち早くゴハンにありつこうと、小競り合いがいくつも起こる。

「ほらほら、黒スケ、だめじゃなーい!開いてない缶詰は、食べられないよ。
あっ、コラ、茶々丸!ゴンとケンカしちゃだめよぉ」

お行儀の悪い猫たちを適当にさばきながら、オバサンは缶詰のマグロをお皿によそい、
その横にドライタイプのキャットフードの粒々をざくっと盛りつけていく。
ひと皿に、スプーンに山盛り一杯のマグロ缶と、ドライフードをひとつかみ。
それが、全部で十二皿。
めいめいの猫が、ちゃんと自分のお皿で食事ができる計算である。
オバサンは、盛りつけたお皿を一匹一匹の前に置いて歩いた。

 ほんのしばらくの静寂。生け垣にひそんだねずの耳に、ペチャペチャ、カリカリ、
猫たちのゴハンを食らう音だけが聞こえてくる。

ぐうう!ねずのお腹が鳴った。
もう我慢の限界である。ねずは生け垣を飛び出して、ベンチの下にもぐりこみ、
オバサンを見上げてミャアとちいさく鳴いた。

「あら、もう一匹いたの!あんた、見かけない子だねぇ・・・初めてきたの?」
オバサンは、しゃがみ込んでねずの顔をしげしげと眺め、
耳のしるしを確認すると、得心したようにうなづいた。

「ははん、あんた、川嶋さんが言ってたベランダの子だね。ねずちゃんって言うんだっけ?
ホントに顔に白線があるんだねぇ、うふふふ、変わった顔。
あんた、道路渡って、ここまで来れたんだ。
ちょっと待ってな、いま、あんたの分もこしらえてあげるから」
そんなことを言いながら、オバサンは、十三枚目のお皿に缶詰と粒々を盛りつけて、
ねずの前に差しだしてくれた。

 ねずは、夢中でお皿に顔をつっこんだ。
ベランダで出されるいつものゴハンとはひと違う、新鮮な匂いが食欲をそそる。
おいしい!ねずが、缶詰マグロをひと舐めして、その味わいを口のなかで楽しんでいたとき、である。

なにか黒い影がサッと近づいたかと思うと、お皿のマグロの塊が半分消えていた。

「へへへ、もーらいッ!」細身の黒猫が、ねずのマグロをくわえて、一メートルほど先に立っていた。

「もうっ、黒スケ!だめじゃない、他の子のを盗っちゃ」
お皿オバサンは怒ったけれど、もう後の祭りである。
黒スケと呼ばれたその猫は、ほんのひと口で、ねずのマグロをぺろりと平らげた。

ねずがその様子をぼうぜんと見ていると、今度は、お皿に金茶色のアタマがつっこまれた。
そのアタマの主は、ぐいぐいと遠慮もなくねずを押しのけて、
残っていたマグロの半分を食べてしまった。

ほんの、まばたきしている間の出来事である。ねずは、仰天してあたりを見まわした。

すると、さっきまで自分のお皿でお行儀よく食べていたはずの猫たちが、
そこかしこでゴハンの争奪戦を繰り広げていた。
アイゾウさんがゴンの皿に手を出そうとして猫パンチを食らっている。
三毛ねえさんは礼儀知らずのタマちゃんに向かって逆毛をたて、
たったいまねずの皿からマグロを食べた茶々丸は、もう、さくらママの隙をうかがっている。

お皿オバサンは、「ダメじゃない!」を繰り返しながら、
「ホラホラ、欲しいなら、まだあるから」と言って、残っていたマグロの缶詰を猫たちの皿に
つぎたしていくのだが、その『おかわり』を巡って猫たちの興奮はさらにヒートアップした。

 「ゲームだ!」ねずは思った。

最初にそこそこお腹を満たしたら、あとは、ぐずぐずしているヤツのお皿からごちそうをかっさらう。
すばしっこくて知恵のまわる者が勝ち、ぼんやりしているヤツが負け。
うまくかっさらっても、相手が強ければ報復されるキケンもいっぱいだが、
そんな攻撃をうまくかわして逃げ切れば、してやったり!その日は意気揚々と寝ぐらに帰って、
満ちたりた眠りにつけるのだ。

~その23に、つづく~


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その23 [第5章 公園ゴハン]

 そんな公園ゴハンに、ねずは夢中になった。
とくに他の猫たちと違い、毎日ベランダでお腹を満たすことができるねずにとって、
公園ゴハンは、猫としての闘争本能を満足させる純粋なゲームの場。
ごちそうをひと口と、どきどきするスリルと、年長猫を出し抜いてひと泡ふかせる高揚感。
要領さえつかめば、ちいさくて身が軽いねずは、このゲームに向いていた。

はじめての日からぞくぞくするようなゲームの興奮に魅せられてしまったねずは、それから毎日、
夕方になると公園に通った。三回、四回と回を重ねるごとに、道路を渡ることにもすっかり慣れ、
アイゾウさんの引率も必要なくなった。もうねずは、いっぱしの、野っぱら猫になった気分だ。

 公園に通うようになって五日目、ねずはぶち子を誘ってみた。
「でさ、ゴハンを食べるっていうより、盗りっこがおもしろいの。ねずの得意技は、横っ跳び!
隣のお皿の缶詰を、パッとひと口くわえて、ぴょんって跳ぶんだよ。
でも、跳び方が足りないとダメ。猫パンチが飛んできたりするから」

興奮してしゃべるねずに、ぶち子は引け腰だ。
「でも、大人ばっかでしょ?ゴンとか三毛ねえさんとかさ。なんか、反撃されたらおっかないじゃん」

「でも、アイゾウおじさんや、さくらママも来てるよ」
「えっ?ママも!」

ママと聞いて、ぶち子の声が弾んだ。
ベランダに顔を見せなくなってから、ぶち子はさくらママとほとんど会っていないのだ。
たまに遠いところを歩いている姿をチラリと見かける程度。

「ママに会えるなら、ちょっとコワいけど、行ってもいいかもしれない」と言うぶち子を従えて、
その日はふたり連れで公園に出かけた。

 怖がるぶち子に道路の渡り方を教え(もちろんアイゾウさんの受け売りである)、
いかにも慣れた風に階段を登り、猫列のいちばん上に陣取る。
ちょっとトロいぶち子は、石垣ジャンプに二回も失敗したが、まぁ乗ってしまえば降りるのは簡単だ。
石垣の上であたりを見まわしたが、さくらママの姿は見えない。

「今日は来ないのかな?」
「えーっ、ママに会えるっていうから来たのにぃ」

ぶち子は口をとがらせたが、いないものは仕方がない。しばらく待っていると、
いつものように下の猫群から騒ぎがはじまり、お皿オバサンが登場した。

 その日の猫は、総勢八匹。やや少なめといえる。
お皿オバサンが初顔のぶち子に声をかけ、八枚のお皿にゴハンを盛って配り終えた頃、
白くてきゃしゃな影が、猫の輪のはしっこの方にスッと現れた。

「あっ、さくらママ、来たよ!」ねずの声に、ぶち子はすぐさま反応した。
「ママっ!」

ぶち子の鳴き声は、絶対にさくらママの耳に届いたはずだが、ママはぶち子の方を見ようともしない。
しなやかな足どりでお皿オバサンに近づいて、ゴハンをねだっている。
そして、自分用に出されたお皿に顔をうずめて、平然と食事をはじめた。

ぶち子は、もう、居ても立ってもいられない様子だ。
ママがいる!久しぶりに、こんなに近くに!ぶち子はやおら立ち上がると、
猫の輪の反対側にいるさくらママのところへ駆けだしていった。

「ママっ」ぶち子は、食事をしているママの背中に駆け寄った。
後ろから小走りに近づいて、子供の頃のように頬っぺたを、ママの背中にペタンとくっつける。

と、その瞬間。

シャーッ!!!という強い威嚇の声とともに、さくらママの牙がぶち子の片耳をとらえた。
「ナニするの!これはあたしの食事だよ!」

ギャッ!驚いたぶち子は、跳んで後ずさった。
噛まれた耳に、すこし血がにじんでいる。ぶち子は震えあがった。噛まれたから、ではない。
それ以上に、ママから拒絶されたショックで、深く傷ついた目をしていた。

「だって、ママ・・・あたし、ゴハンが欲しいんじゃなくて。
だって、ママにずっと会ってなかったから。ここならママに会えるっていうから・・・」

ぶち子は泣きべそをかいて、その場に立ちつくした。
さくらママは、そんなぶち子に目もくれず、黙々と食べつづけている。

 その他の猫たちは、ママと娘の久しぶりのご対面シーンなど興味ゼロ。
おなじみのゴハン・バトルに忙しい。ねずの横に置かれていた、
ほとんど手のつけられていなかったぶち子のお皿も、すでにタマちゃんの手に渡っている。

反対側から見守っていたねずは、猫たちの喧噪をかわしながら、ぶち子のそばへ歩み寄った。
鼻先で、ぶち子の震えるおでこにそっとタッチして、血のにじんだ耳を舐めてやる。

「ぶっちゃん、もう帰ろう」ねずは声をかけた。「ベランダで、ゴハンが出てくる時間だもの」

ふたりは連れだって、とぼとぼと公園をあとにした。
ベランダには、もうお皿が置かれていて、いつものゴハンの心やすらぐ匂いが立ちこめていた。
ふたりは、とりあえず公園での出来事は忘れて、いつものゴハンをお腹いっぱい食べた。

「きっと、お腹がすいてたんだよ」ねずは言った。
「それか、あんなところでぶち子に会うと思ってなかった、とか」

「うん」ぶち子は同意する。「あそこ、暗かったしね」そして、もう、すっかり機嫌を直している。
「だって、ママが、ぶち子のこと噛むわけないもん。ママはやさしいんだもん。あったかいんだもん」

そして、ふたりは、明日なにをして遊ぶと楽しいか、なんてことを思いつきっこしながら、
シャギーなクッションに抱かれてぐっすりと眠ったのだ。

でも、ぶち子はそれっきり、もう二度と公園ゴハンに行こうとはしなかった。
・・・ねずがいくら誘っても。

~第6章に、つづく~


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