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第10章 新しい出会い ブログトップ

その47 [第10章 新しい出会い]

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ。箒の音がする。
お寺の小僧さんが、墓地の入口の階段を掃いているのだ。

あたりはまだ、暗闇につつまれた夜明け前。 太陽が昇ってあたりにぬくもりという恵みを
降りそそいでくれるまで、もうしばらく待たなければならないこの時間帯は、早春というより
晩冬の冷えきった空気に満たされている。 小僧さんの、ほっ、ほっと吐きだす息が白く凍って、
薄霞でこしらえたぽんぽりのように浮かんでは消えた。

 墓地の入口から見て右手奥の、長いあいだお参りに来る人もなかったらしい古ぼけた墓石の裏側に
吹き寄せられた落ち葉だまりを寝ぐらにしているねずは、立ち並んだ卒塔婆のすき間から
白線入りのちいさな鼻面をのぞかせてその様子を眺めている。

 毎朝、夜明け前のこの時間、小僧さんはやってきて、階段をおそうじし、入口に建てられた
大きな御影石の菩薩像を水で清め、お線香を焚き、ちょっと拝んでから像のうしろにまわる。
そして背負ったリュックサックのなかから袋をとりだして、台座の影に目立たないように置かれている
猫鉢にザザザとキャットフードの粒々をそそいで帰っていくのだ。

 ザザザザザ~  今朝もいつもとおんなじ手順で、キャットフードがそそがれた。

聞き慣れた音に、ねずの耳はピクリと反応し、鼻が勝手にヒクヒクと動く。
菩薩像まではすこし距離があるので、風向きによってはキャットフードの匂いを感じることが
できない日もあるけれど、今朝はすぐにふんわりとおいしそうな匂いが漂ってきた。

うほっ、ねずの気持ちが浮きたつ。
うほっ!今日もおなかいっぱいの朝ゴハンから、元気な一日をスタートできそうだ。

 とはいえ、ねずが朝ゴハンにありつけるのは、まだまだ先のお話。
小僧さんが帰るやいなや、この餌場の常連猫たちが一匹、また一匹と姿を現し、
かわるがわる猫鉢に頭をつっこんでいるからだ。

猫鉢は、三つ。 今朝やってきた猫は、いまのところ五匹。

どの猫もいかにも古株っぽい面がまえで、まだこの墓地に住みついて間もない新米猫を
こころよく仲間に入れてくれるとはとても思えない。
ねずは用心深く、みんなが食事を終えて行ってしまうまで身を隠しておくつもりなのだ。

三つの猫鉢はどれもけっこう大ぶりで、五、六匹の猫ではおいそれと食べきれないぐらいの量の
キャットフードが入っていることを、早くもねずは学んでいた。
常連たちに割って入ってキビしい追い立てをくらうより、ここは、ひとつ、じっとガマン。
やっぱ、残りものキャットフードに福あり、でしょ。

 ・・・まだらの仏っさまのお告げに従って、この墓地に暮らしはじめてそろそろ一週間。

仏っさまの言ったとおり、墓地には、ベランダの猫箱とまではいかないものの、
そこそこ居心地のよい寝ぐらにできる場所がいくつもあり、
猫好きの和尚さんや小僧さんたちのおかげで朝晩のゴハンには困らない。

ちょっとやっかいなことと言えば、そんな絶好の猫向き物件ということで、長く住みついている
古参の猫どもが多く、みんながみんな俺さまのなわばりとばかりに幅を利かせたがるところだ。

とくに男子どものなわばり意識は強く、顔をあわせてはいがみ合い、
いがみ合っては尿スプレーで己の存在を主張したがるので、そこいらじゅうの墓石や、卒塔婆や、
植木や、草むらから猫たちのスプレー臭がぷんぷんと漂ってくる。

 おりしも三月初旬は、春のはじまり。

エロの季節のまっただなかというわけで、ふだんは顔を見せない面々までもが出没し、
スプレー行動はますますエスカレートしているのだ。

 とはいうものの、タマ取り済みのねずには、それはむしろ好都合である。

この時期、老若を問わずたいていの男子は発情期の女子しか目に入らず、発情期の女子は
現役バリバリの男子にしか興味がない。ちびっちょの、まだ一歳にもとどかない
人畜無害なタマ取り済みの小娘のひとりやふたり、墓地のすみっこに寝ぐらを定めたからといって、
目くじら立てているヒマなどないのだから。


   ~その48に、つづく~


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その48 [第10章 新しい出会い]

 さて、そうこうしているうちに、古株のみなさまは朝のお食事を終えて、
そろそろ散会してしまわれたご様子。 卒塔婆の影から見守っていたねずは、最後のひとりが
ゆるりと立ち去ったのを確認するや、そそくさと寝ぐらを飛び出し、猫鉢へと駆け寄った。

新米猫としては、こういうエアポケットのようなすき間時間を有効に活用せねばならない。
いつ別猫がやって来るやも知れない状況下では、鬼の居ぬ間に洗濯、ならぬ、
さっさと残り福でお食事を、なのだ。

ねずが猫鉢のところまで来てみると、あれまあ、本日はみなさま食欲旺盛で。

きちんと並べられていたはずの三つの猫鉢は、あちらこちらに飛ばされて、ひっくり返ったり、
転がったり。 あたりの地面には、食べこぼしのキャットフードが散乱している。
それでも、転げずに残っていた唯一の猫鉢にはまだ二、三十粒ほどのキャットフードが入っていたし、
あたりにこぼれている粒々を拾えば、まずまずの腹ごしらえはできそうである。

 ねずは、さっそく猫鉢に顔をつっこみ、朝のエネルギー補給に取りかかった。

 「・・・・ねぇ・・・・」

 大きな猫鉢にすっぽりと顔をつっこんで、底に残ったキャットフードをがつがつとさらっていた
ねずの後ろから、遠慮がちなか細い声が、ひとつ聞こえた。
ねずが気づきもせずに食べ続けていると、すこし間をあけて、もうひとつ。

 「・・・・あの、ちょっと・・・・」

 こんどは、ささやくような声色に、ほんのすこし切迫した感じが含まれている。
意識のほとんどを目の前の食事に集中していたねずが、あわてて猫鉢から顔を上げて後ろを振り向くと、
その声の主は、ねずから二メートルぐらい離れたところに、小首をかしげてちょこんと座っていた。

 見たこともない、つややかな銀鼠色の毛並み。 ほっそりと、しなやかなラインを描く肢体。
手足も、胴体も、ずんぐりとしたそこいらの駄猫たちに比べて驚くほど細く、
きゃしゃな顔立ちはシャープな逆三角で、大きめの耳がバランスよく配されている。
鼻面は長く、すこしとがっていて、まん丸なねずのちんくしゃ顔とは大ちがい。

ま、わかりやすく言うと、まるっきりガイジンと日本人、アングロサクソンとモンゴロイド
といった風情である。そして、その端正な顔のまんなかには、
吸い込まれそうに大きなコバルトブルーの瞳がふたつ、キラキラと深い輝きを放っていた。

 ねずは、思わず息をのんだ。 いままでにこんな美しい猫に出会ったことはない。
おりしも昇ってきた朝日の、天から舞い降りてきたひとすじのやわらかな光のベールに包まれて、
彼女はまるで王女さまのように優雅にたたずんでいる。

いくら不調法なねずでさえ、話しかけるのにちょっと言葉を選んでしまう、
そんな浮世離れした雰囲気が、その猫の全身から漂っていた。

   ~その49に、つづく~


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その49 [第10章 新しい出会い]

 大きな瞳で見つめられて、ねずったら言葉もなく、口あんぐりで眺めるばかり。
そんなねずを、彼女はしばらく観察し、やがてこの猫はそんなに意地悪じゃなさそう、と踏んだらしい。

明るく澄んだフルートの音色を思わすソプラノボイスで、おずおずと言った。

 「・・・あの、あなた、そのお食事、ぜんぶ食べてしまわれるおつもり?」

 唐突な質問に、ねずの口はさらにあんぐりだ!

あったりまえでしょ、あたしゃ腹ぺこの小汚いノラなんだから!
しかも、ぐうぐう鳴るお腹をなだめながら、食いしん坊の五匹が食い散らかしていくのを待ちに待って、

ようやくゴハンにありつけたっていうのにさ!
そもそも、なんであんたみたいな、いかにも外国産でいいとこのお嬢風のきれいな鈴付き
(そう、彼女の首には金色の鈴がついたピンク色の首輪が巻かれていた)が、
うらぶれた墓地のすみっこのノラ猫さま御用達のお食事処に用があるわけ?
あんたなんて、さっさとお家に帰って、ゴージャスな煮こごりタイプとかの朝ゴハンを
出してもらえばいいじゃない! ・・・と、腹のなかでそんな風に思ったかどうだかは知らないが、
結局、お人よし(お猫よし?)のねずちゃんは、こう答えた。

「あっ、うん。・・・じゃなくて、えっと・・・つまり・・・あんた、お腹空いてるの?」
「ええ、そうなんですの。わたくし、もう、三、四日はお食事をいただいてなくて」

「う~ん・・・」ねずは、うなった。
ねずは夕べも境内の入口でそこそこの量をいただいたし、昨日の朝もここで食べた。
そのうえ、いま、この猫に声を掛けられるまでに二十粒は平らげたので、
即・飢え死というような状態ではまったくない。
でも、この王女さまは、三日も四日も食べていないのだ。

お地蔵さんの祠に置き去りにされたあとの一カ月で飢えの苦しみを十分に味わったねずとしては、
この腹ぺこ猫の心情を察するにあまりあるのである。・・・だから、ここはひとつガマンのとき。
腹の虫は抗議をしたそうだったけれど、しかたなくゴハンを半分譲ることにした。

「じゃ、いいよ。この鉢に残っていた分は、もうねずがほとんど食べちゃったんだけど、
こっちに落ちてる粒々は、みんなあんたにあげる。拾えば、きっと四、五十粒はあると思うよ」

「まぁ、ありがとう!」
王女さまは、うれしそうにコバルトブルーの目を輝かせた。
そして、あくまでも優雅な仕草でこぼれたキャットフードに歩み寄り、
ひと粒ひと粒を上手に舌で拾いながら、かみしめるように食べはじめた。

 ねずは、熱心に食べつづける王女さまを、あらためてじっくりと眺めてみる。
最初は、その見たこともない不思議な毛色と、優美なスタイルと、金色の鈴付き首輪ばかりが
目に入ったので、てっきりどこかのお金持ちの箱入り猫が
ぶらりと遊びに来たのかと思ったのだけれど、どうやらそうではないらしい。

 近くで見ると、その毛並みは土埃やなんかで薄汚れていて、形のいい大きな耳には、左右とも、
細かなひっかき傷がたくさんある。 耳にひっかき傷ができるのは、たいていは、
弱い猫が強い相手に追い散らされるときだ。王女さまは、この場所にたどりつくまでに、
きっといくつもの餌場を渡り歩き、古参猫にいじめられてきたにちがいない。

放浪暮らしを長くつづけてきたのだろうか・・・
散乱していた粒々をすっかり拾ってしまって、名残惜しそうにひっくり返った猫鉢をのぞきこんでいる
王女さまに、ねずは問いかけた。

「あんた、どっから来たの?」

「わたくし?」
ねずの問いに王女さまは驚いた様子で、その深いまなざしをどこか遠くにさまよわせている。
そして、ほっと深いため息をつきながら言った。
「わたくし、ほんとに、どこから来たのでしょうね。長い長い道のりだったような気もしますけれど・・・
わたくし、どうして、いまこちらにいるのか、自分でも不思議な気がしているんですのよ・・・」

そして、王女さまは、記憶のひとつひとつをゆっくりとたどりながら、
彼女にふりかかった身の上話を語りはじめた。

   ~その50に、つづく~


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その50 [第10章 新しい出会い]

 王女さまの名前は『ヒメ』という。 ヒメは、ロシアンブルーの母猫から生まれたミックス
(ま、つまりは純血ではないということですが)で、父猫はアビシニアン×ペルシャの混血。
母方の祖母は美猫コンテストで入賞した経歴もある由緒正しい血統なのだそうだ。

ヒメは三匹兄妹の末っ子である。ミックスなので、子どもたちはみなそれぞれ違った容姿で
生まれてきたのだが、なかでもヒメはいちばん美しかった。 母方の血をより濃く受け継いだらしく、
ロシアンブルー特有のほっそりとスリムな体型に、つややかな銀鼠色の毛並み。
そして、くっきりと大きく、夏の青空のように澄みきったコバルトブルーの瞳。
幼い頃、ヒメは、ママに毛づくろいをしてもらいながら、いつも言われていたのだそうだ。

「おまえは、きっと幸せになれる子!その瞳で、人間たちを見つめなさい。
そうすれば、いつまでも大切にしてもらえるからね」

 ヒメは、生後三カ月で、新しい飼い主にもらわれて行くことになった。
ママの家とは、ずいぶんと遠く離れた街である。やさしそうな女の人にちいさなキャリーバッグに
入れられて、長い時間クルマに乗って、着いた先は広々としたお家。
そこには幼稚園に入ったばかりの女の子がいて、ヒメがやって来るのを首を長くして待っていた。

 ヒメと女の子は、すぐになかよしになった。
最初の二、三日こそママが恋しくてミィミィ泣いてばかりいたヒメも、猫好きの家族に可愛がられて
四日目にはもうママのことさえ忘れそうなほど幸せな気分になれた。

 そんな矢先、である。

女の子が突然、病気になった。・・・病名は『猫アレルギー』・・・原因は、当然、ヒメの毛である。

女の子にとっても、ヒメにとっても、それはとても悲しい病気だった。
家族は、急いでヒメを家から出すことにし、とりあえず『おばあちゃんの家』に連れていった。
でもおばあちゃんの家も、ヒメにとってはあくまで臨時の仮住まいである。
だってここも猫アレルギーの女の子が遊びに来る場所、猫の毛を散らばらせるわけにはいかないのだ。

おばあちゃんは、ご近所や知り合いに片っ端から電話をかけ、ようやくヒメの貰い手を見つけだした。
ヒメ、生後四カ月にして、もう三度目のお引っ越しである。

 ヒメの新しい飼い主は、おばあちゃんのダンス教室仲間の、さらにその知り合いの老婦人だ。
老婦人はかなりご高齢で、その家にはすでに五匹も猫がいた。

「あらー、どこにも行き場のない子猫なの?」老婦人は電話で言った。
「わたしも、もう歳ですからねぇ。子猫じゃ最期まで面倒をみてやれないと思うけど・・・
でも、行き場がないんじゃねぇ。とりあえず、連れていらっしゃいな」

 老婦人は、ひと目でヒメを気に入った。
そりゃ誰だって猫好きとあらば、あの瞳で見つめられれば好きになる。
ましてやヒメは可愛いさかりの子猫。先住の猫たちにもまずまず問題なく迎えられて、
ヒメの落ち着き先はようやく定まったかに思えた。
ところが、ヒメの災難はまだまだこれからが本番だったのである。

   ~その51に、つづく~


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その51 [第10章 新しい出会い]

ヒメがもらわれていった老婦人のお宅は、都会からだいぶ離れた郊外の、山すそに広がる田舎町にある。
どの家にも庭があり、あたりは田畑や野っぱらに囲まれていて、いかにものんびりとした暮らしぶり。
こんな町では、猫はたいてい家のなかだけじゃなく、家の外にもお出入り自由の放し飼いが
あたりまえなのだ。・・・というわけで、老婦人のお宅の猫たちは毎日気ままにあたりを
ほっつき歩いていた。まだ子猫で好奇心いっぱいのヒメも、当然のごとく先輩猫のお尻にくっついて、
庭先からご近所へと遊び回るようになった。

・・・そんなある日、ヒメが野っぱらでバッタを追いかけて遊んでいると、若いカップルがやってきた。

「あー、子猫!ねぇねえ、この子、超かわいくなーい?」
おいでおいで、と手招きされて、人見知りしないヒメはちょこちょこと歩み寄った。
カップルの若い女はひょいとヒメを抱きかかえ、
「すごーい、目が蒼いよぉ!この子、飼いたーい、飼いたーい、飼いたーい!」と
きゃんきゃん声で騒ぎたてながら、そのままヒメを肩から掛けていたトートバッグのなかに
すっぽりと押し込めて連れて帰ってしまったのだ。

 ヒメが連れ帰られた先は、同棲中のカップルが暮らすペット禁止のワンルーム・マンションである。
その部屋でしばらくはふつうに飼われていたのだけれど、三週間もしないうちに
大家さんにバレてしまった。都合の悪いことに大家さんはすこぶる付きの猫嫌いで、
カップルがすぐに猫を追い出さないのなら、「あんたたちが出ていくか、保健所に処分してもらうか、
どっちかにします!」と言い渡した。

カップルは困って、彼氏の友達の友達の友達が聞きこんできた
「血統付きみたいないい猫ならサバいてやる」という怪しげな男にヒメを渡してしまった。
その男は、そんな風に野っぱらで捕まえたり、あるいはペットショップで盗んできたりした
『いかにも血統のよさそうな猫』を引き取って、狭っくるしい部屋に閉じこめていた。

そしてニセの血統書をつけて、インターネットで売りさばいていたのだ。

「あの部屋では」とヒメは言った。
「いろんな年頃の、いろんな毛並みの猫が、毎日震えながら暮らしていました。
窓も開かない、新鮮な空気も入らない、いつも薄暗く汚れた部屋で」

 ヒメはその部屋で、ひと月半ほど暮らしていた。
男はヒメの写真を撮り、『神秘的なコバルトブルーの瞳をもつ、稀少なロシアンブルー。
生後四ヶ月の雌、血統書付き。ロシアンブルーの品種でこんなに鮮やかなブルーアイは
めったに産まれません!!!大特価十万円!』というコピーをつけてウェブサイトに掲載し、
問い合わせてきた女にすぐさま売り渡した。
実際の販売価格は、「もう生後六カ月ほどに育っちゃったから」という理由で、
八万円にダンピングされていた。

 ヒメを買った女は、猫のブリーダーでひと儲けしようと考えはじめたばかりの中年主婦である。

『稀少なコバルトブルーの瞳のロシアンブルー』なら、高値をつけられる美しい子猫を
繁殖できるにちがいない。それがたったの八万円、なんておトクな買い物なんだろう!

 でも彼女は、子猫といっしょに届いた血統書を見てガッカリした。
たしかに可愛い子猫だったが、血統書はいかにも本物らしく作られたニセモノで、
ロシアンブルーの純血ですらなさそうだ。
おまけに病院で調べた血液検査の結果、子猫は伝染性の病気をもっていることがわかった。
・・・そう、ヒメは『猫白血病ウィルス』に感染していたのである。

『猫白血病』はウィルスによる伝染病で、感染してすぐに病気を発症するわけではないのだけれど、
発症してしまうと治療法もなく死んでしまう怖い病気だ。血液検査で陽性反応がでたヒメは、
まだウィルスを保菌しているだけの『キャリア』と呼ばれる段階だったが、
発症前のキャリア猫でも健常な猫にウィルスを移してしまう恐れは十分にある。

ヒメは、閉じこめられていた猫部屋でウィルスを移されてしまったのだ。

   ~その52に、つづく~


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その52 [第10章 新しい出会い]

ヒメが『稀少なロシアンブルー』ではなく、おまけにやっかいな病気持ちであることを知った女は、
病院からの帰り道、ヒメを通りすがりの公園の茂みのなかに捨てた。

病気持ちの子猫を、家に連れ帰るわけにはいかない。
だって彼女の大切な繁殖猫ちゃんたちに、病気が移ってしまいますからね。

「さよなら」さえ、女は言わなかった。持っていたケージから乱暴にヒメを放りだすと、
もう振り込んでしまった八万円と血液検査代の一万円、しめて九万円もの大損を呪いながら、
足早に去っていった。

 公園に放りだされたヒメは、わけがわからずにぼんやりとうずくまっていたが、
やがて学校帰りの女の子たちに発見された。 ふたりの女の子は小学二年生で、同じマンションに住む
お友だち同士なのだ。

「あっ、猫ちゃん!」「かっわいいー!」ふたりは口々に言って、ヒメのそばにしゃがみこんだ。
「どうしたのー?迷子になっちゃったのかな?」「お家に帰れないのかな?」
「どうしよう?」「うーん、連れて帰って、ママに相談しようか?」「そうしよう!」

 ふたりはヒメをかわるがわるに抱っこしながら、片方の子のお家に連れて帰った。
その子のママは、抱っこされたヒメと、子供たちの顔をあきれたように眺めて、きっぱりと言った。
「知ってるでしょ?このマンションは、動物を飼っちゃいけないのよ。
だから、どっちのお家にも置けません。拾ってきた公園に戻してらっしゃい」

 ふたりは、やっぱりね、と顔を見あわせて、ヒメを抱っこして家をでた。
でも、さっきの公園に戻ったのではない。ふたりは、ふたりだけの秘密の隠れ家にヒメを連れていった。

そこは、長いあいだ空き家になっている大きなお屋敷で、カギのこわれた裏木戸から
こっそり庭に入れるのだ。
ふたりは道の途中の百円ショップで、五十円ずつ出しあって金色の鈴のついたピンクの首輪を買った。
その首輪をヒメにつけると、めいめいの給食袋のヒモをつなぎあわせてロープにし、
お屋敷の庭の古びた犬小屋にヒメをゆわえつけたのだ。

「ここで飼ってあげる」ふたりはヒメをなでなでしながら言った。
そして、給食で食べ残したコッペパンをちぎって、ヒメの足もとにぽろぽろと置いた。

 女の子たちに、決して悪気があったわけではない。ふたりは本気でヒメをここで飼うつもりだった。
犬小屋をお家にして、どっかへ行っちゃわないように、ロープでゆわえて。
でも残念なことに、猫は、犬のようにつながれて暮らせる動物ではない。ふたりが帰ってしまったあと、
短いひもの範囲しか動けないことに気づいたヒメはパニックになった。
ギャーギヤーとだせる限りの大声で鳴き、なんとか首輪を抜こうと暴れまわった。
夜になっても止まないヒメの鳴き声を不審に思った近所の奥さんが、つながれたヒメを見つけて、
「あらまあ、誰がこんなイタズラをするのかしらねぇ」と言いながらロープをほどいてくれたので、
ヒメはようやく自由を取り戻せたのだけれど。

 ともあれ、自由の身になったヒメは空き家を逃げだし、放浪の身となった。
どこかに寝ぐらを定めることもできず、しばらくは、そこいらあたりのお宅の庭先を点々と移り住んだ。

食うや食わず、ゴミを漁る勇気や知恵もない。
ただ、ヒメにとって幸運だったのは、女の子たちが首輪をつけてくれたことだ。

まるで外国産みたいな美しいルックスと、金色の鈴がついたピンクの首輪。
人なつこくて、上品な仕草。
庭先にちょこんと座っていると、そのお宅の人たちは、みんなヒメをどこかの飼い猫だと思った。

「あら、きれいな猫ね!おいで、おいで」
そんな声とともに縁側のガラス戸が開き、人間たちはチョッチョッと舌を鳴らして手招きする。
うにゃん、とひと声鳴いてコバルトブルーの瞳で見上げれば、
たいていはキャットフードや煮干しやかつお節をいただくことができた。

 そんな暮らしが三、四カ月ほどつづいただろうか・・・
そうこうするうちに、ヒメ、そろそろ満一歳のお誕生日。
ちいさな子猫から、美しい大人のオンナへと成長していくヒメを、そこいらのスケベ野郎どもが
放っておくはずもない。野郎どもはヒメを追いまわし、本能のままにねじふせた。
生まれてはじめての発情フェロモンに突き動かされたヒメも、すべてを受け入れた。
猫たちのエロの季節に、お上品な駆け引きや、公序良俗などないのだから。

そうしてヒメは身ごもった。
ねずと、ここでこうして出会う、ひと月あまり前の出来事である。

   ~その53に、つづく~


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その53 [第10章 新しい出会い]

「その時に出会った一匹の男性が、わたくしを気に入ってくださったんです。
彼のお宅で、いっしょに暮らそうって。彼は、それはそれはハンサムなスコティッシュホールドで、
大きなお家に住んでいました。彼が丸二日もお家を空けてわたくしといっしょに過ごしたあと、
わたくしを連れて家に帰ると、彼のお宅の女性はひどく怒りだしましたの。

『アレックスちゃん、お家から出ちゃダメじゃないの!それに、なに?この薄汚れたメス猫はッ!』

そう言って、その方は、わたくしを段ボール箱に入れて、このお寺の門前に連れてきたんです。

『とにかく、あんたはアレックスちゃんのまわりから消えてちょーだい。
あの子には良血のスコティッシュホールドのお嫁さんを貰うことになってるんだからねッ!』

それだけ言い残して、わたくしを置き去りにしました」

 ヒメの長い長い身の上話は、ねずを仰天させた。
そのうえこの王女さまのお腹には、なんと赤ちゃんがいるらしい!
こんなに細っそりとしているのに?・・・でも、あらためてじっくり観察すると、
胸や手足の細さにくらべて、下腹のあたりだけふっくらと丸みを帯びているように見える。

お腹に赤ちゃんのいる猫と話をするのははじめてだ。
知りたがりのねずちゃんは、ヒメを質問ぜめにした。

「じゃあ、じゃあ、あんたのお腹には、赤ちゃんがいるの? いつ産まれるの?
どうやって産まれるの? 赤ちゃんがいるのに、ふつうに走ったりしててもいいの?
そもそもお腹に赤ちゃんがいるのって、どんな感じ?」

 ねずのやつぎ早な質問に、ヒメは微笑みながら答える。

「赤ちゃんは、お腹に宿ってからふた月ほどで産まれるんですよ。いま宿してひと月あまりですから、
あと三週間ほどで産まれますでしょうか。なにしろわたくしもはじめての経験ですから、
どうなることやら、まったくわからなくて・・・でも、このお寺の門のところで暮らしていらっしゃる
黒猫さんが、教えてくださいました。その方は、ひと目でわたくしのお腹に赤ちゃんがいるのを
お察しになったらしくて。

『産まれるまでにいつもよりたくさん食べて、体力をつけておかなきゃダメ。静かにお産ができて、
少なくとも一日、二日は赤ちゃんを抱っこしてゆっくり横になっていられるような、
雨風をよけられる寝ぐらを探しておかなきゃダメ。そのあとも、赤ちゃんにたくさんお乳を
あげられるように、あんた自身がゴハンをしっかり食べられる餌場を確保しておかなきゃダメ』
っておっしゃって。

それで、まだお腹が大きくならないうちに、百八の石段を昇って、
こちらのお寺の境内か裏手のお墓に居を構えたほうがいい、と勧めてくださったんです」

「うん。このお墓や境内には、いろんなところに猫用の大きな鉢が置いてあるの。
朝と夕方、キャットフードがいっぱいになるんだよ。それに、あんたがお産するのにぴったりの場所、
ねずは知ってる!境内の奥のほうにおっきな木があって、その幹にぽっかり穴が開いててね。
なかがフカフカで、すっごく気持ちよく眠れるの。きっと気に入るよ。
あんたも、産まれてくる赤ちゃんも!」

 ねずは自分のお産でもないのに、なんだかノリノリだ。
長いお話を聞いているうちに、ねずは、ヒメのことが大好きになったのだ。

波乱の運命にふりまわされながらも、荒むことなく、素直でやさしい心を持ちつづけているヒメ。
なんとお腹に赤ちゃんを宿して、ねずの前にとつぜん現れた新入り猫。
・・・ただでさえおせっかいなねずちゃんが、こんな場面ではりきらないわけがないでしょう?!

 でも、なんだかこの展開、いつかの場面のデシャヴのような・・・?
ねずちゃん、くれぐれも、コトの運びは慎重に。パクのお話の二の舞にならないように気をつけて!

    ~第11章に、つづく~


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