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その34 [第8章 旅立ち]

 ぽとり、ぽとり、ぽとり。 雪が降っている。

春まぢかに降る雪は、真冬にさらさらと軽やかに舞う粉雪とちがって、
湿気をふくんで大粒に結晶したぼた雪だ。

 ぽとり、ぽとり、ぽとり。 重たい雪のひらは、地面に落ちるとすぐに溶けだし、
じくじくと氷まじりの雪解け水となってあたり一面を凍えさせていった。

 お地蔵さんの祠の裏の、ほんのささやかに突きだした短いひさしの下にちぢこまって、
ねずは雪が降りかかるのをよけている。
できるだけひさしの下に身を入れようとちいさく丸まっているねずの足もとやお腹の下にも、
冷たい雪解け水がじわじわと流れ込んできて手足の裏を濡らすのだけれど、
他に身を隠せる場所もなく、ねずはカタカタと震えながらその場に座りこんでいた。

 冷たい、とねずは思う。

その冷たさは、降りかかる雪のせいだけではない。
ねずの胸のなかにずんずんと降りつもっている、凍てつく悲しみのせいだった。

 さくらママの亡骸が届けられ、パクが身代わりとなって死んだあの日から、
ねずは居場所を失ってしまった。

ベランダには、もう帰れない。 ねずを突き落とした瞬間の、ぶち子の怒りと拒絶の表情が、
いまでもくっきりと脳裏に焼きついていた。
かといって、公園にも行けない。あの道路を渡ることも、パクの血がしみついたあの公園の
石垣に近づくことも、ねずにはできそうにもなかった。

 さくらママの死は、ねずのせい。 パクの死も、ねずのせい。
もう、どこにもねずをあたたかく迎えてくれる場所はない。
行き場をなくしたねずは、結局、またお地蔵さんの祠の裏に舞い戻るしかなかったのだ。

あれからずっと朝も昼も夜も、祠の裏にたたずんで、ねずはずっと心に問いつづけている。

どうしてこんなことになってしまったのだろう?
パクを助けて、あれほど幸せな気持ちだったのに。
身体に力が満ちあふれ、もっといろんなことができると思っていたのに。
どうしてだろう、そのせいで、さくらママは死んでしまった。パクは死んでしまった。

「なぜ、なぜ、なぜ?」
・・・ねずのちいさな頭のなかで、答えのでない問いとやりきれない思いが渦巻いている。

そもそも、死ぬとはどいうことなんだろう?
ベランダからのぞき見たさくらママの、あの恐ろしいほどにうつろな『ナンニモナサ』
・・・がらんどうのようになってしまったさくらママの冷たい骸のなかに、もう一度、
感情やぬくもりが戻ってくることはないのだろうか?
さくらママから『ナクナッテ』しまった感情やぬくもりは、
パクが力尽きてぐにゃりと地面にへばりついた最期の瞬間に、パクの身体から抜けだしてねずの心を
かすめ去っていった『ごちゃまぜの思念』と、同じものではないのだろうか?

一瞬のあいだにどこかへ消え去ってしまったあの『ごちゃまぜの思念』をつかまえて、
冷たい身体のなかに戻すことができるとしたら? パクもさくらママも、
もと通りのあったかい猫に戻って、公園で暮らせるようになるんじゃないだろうか?
そうすれば、ねず自身だって、またあの満ちたりた日々を取り戻すことができるのに。

 「帰りたい・・・」ねずは、心の底からそう思った。 楽しいとか、幸せだとか、
そんなコトバで飾る必要もないほど、シアワセがあたりまえのように満ちあふれていたベランダに。


  ~その35に、つづく~


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その35 [第8章 旅立ち]

 「Hohoo!こんな凍える日に、寝ぐらのないヤツがいたとはね」

突然、声がした。
驚いてあたりを見まわすと、通りの向こう側の生け垣のなかに、黒い耳がのぞいている。
黒い耳の持ち主は、ぼた雪が身体に降りかかるのを気にもかけずに、
ひょいと生け垣を飛びだして、ねずのほうへとやってきた。

 その猫は、『黒覆面のゾロ』である。
こういう住宅地のノラにはめずらしく、決まったなわばりをもたない流れ猫で、
近隣の町内をあてどなく流れ歩いている、という噂だ。
ほとんど全身がまっ黒だが、顔のなかだけ、両目の下からあごにかけて
逆三角形に切り取ったように白く、まるですっぽりと覆面をかぶっているように見える。
すらりとやせて、ひらりと身の軽い、黒ずくめの覆面騎士。どこからともなく現れては公園あたりを
うろつき、どこへともなく去っていく黒覆面のゾロは、その風貌のまんまに神出鬼没で唯我独尊。
ゴンやミケねえさんでさえ一目置く怪猫だった。

「おまえ、公園でときどき見かける、白線のチビだな。なんていう名だ?」
「ねず、です」
「ああ、ねずっていうのは、おまえのことか。いま、公園じゃ、おまえの話題でもちきりだぞ。
 なんだって、あん? おまえがヘマしたせいで、パクとかいう鈴付きあがりが死んだって?」

「・・・」ねずは、答えられなかった。うまく言葉がでてこない。

「Hahaan」ゾロは、ねずの目をのぞきこんだ。「で、おまえは、しょげ返ってるってワケだ」
ねずの気持ちなどおかまいなしに、ゾロはつづける。

「だいたい、マヌケな話だよな。クルマに轢かれて死んじまうなんて。
 それも、ドジなガキがヘマしてるのを、わざわざ助けて身代わりになっただなんて、
 笑い話にもならねぇぜ。ま、鈴付きあがりってのは、なんにも知らねぇヤツらばっかりだから、
 クルマに轢かれたら死んじまうってことも、死んじまったらどうなるかってことも、
 わかんねぇんだろ? 死んじまったら、もうおしまいで、うまいメシもナシ。
 ぶらぶら歩きもナシ。乱痴気騒ぎも、ぐうたら寝も、しのび込みも、獲物狩りも、
 おもしろいことはなぁんにもナシだってのによ」

「死んでしまうと、ナンニモなくなるの?」ねずはたずねた。
世の中を知り尽くしていそうなゾロなら、ねずの?に答えを出してくれるかもしれない。

「ああ、そうさ。生きてて、なんぼ。死んだら、それっきり。ま、助かったおまえは、
 ちっぽけな一生を、せいぜいおもしろおかしく楽しめってことさ」

「じゃ、さくらママやパクは、これからずっとナンニモナイの?」

「そ。とにかく、死んじゃったら、その瞬間からナンニモナシ」

「このあとも、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ナニンモナイまんまなの?
 でも、さくらママもパクも、冷たい身体はのこってた。
 そのなかにあった、ぬくもりとか気配とか感情とか、みんなどこへ行っちゃったの?
 もう二度と、戻ってこないの?戻すことはできないの?」

「まぁ、そう突っ込まれると、オレにだってよくわかんねぇんだけどな」
ねずの剣幕に押されて、ゾロはすこしたじろいだ。
「とにかく、死んじゃったヤツの命は、もう戻せねぇと思うよ。冷たい身体はそのうち腐って、
 ポロポロの土くれになってしまうのさ。そんな死体を、オレはいくつも見てきたからな。
 死んじゃった身体にぬくもりが戻った、なぁんて話は、聞いたこともないし見たこともない」

「・・・」ねずは、また悲しくなった。知らず知らずに涙があふれだす。
「じゃ、さくらママやパクのぬくもりは、どこへ行っちゃったんだろう・・・」

「めぇめぇ、泣くんじゃねぇよ。おまえは生きてるんだから、いいじゃねぇか。
 濡れてる手足や腹は冷たいかもしれねぇが、心臓はしっかり動いてるし、ハートはあったかいんだろ?
 そのあったかいハートを、どうにもできない悲しみや後悔で凍えさせないようにしろ。
 野っぱらで生きる猫が、ハートを凍えさせちまったらおしまいだぞ。 メシを食え。なわばりを
 見張れ。日だまりを見つけて昼寝しろ。それが、生きている猫の在り様ってもんさ」

「でも・・・でも・・・」ねずの涙はもう止まらなくなっていた。
誰かに答えを出してもらわない限り、当たり前に生きているあったかい猫になど戻れそうもないのだ。
「ねずは、戻ってきて欲しいの。ナクナッテしまったパクのぬくもりに。さくらママのぬくもりに。
 探せるなら、探したい。どんなことでもするから。どんなところへも行くから」

「う~~~む」ゾロはうなって、考え込むように首をかしげた。
「おまえがそうまで言うのなら、知恵を貸してくれそうなお方がいることはいるんだが」

「えっ、ホント?」涙でぐしゃぐしゃのねずの目に、希望の光がきらめいた。
「じゃ、ねず、そのお方に会いに行く!」

「う~~~む」ゾロの口はなんだか重い。
「そのお方は、ひどく年寄りで変わり者だからな・・・オレさまですら二度しか会ったことがないのに、
 おまえみたいなチンケな猫に会ってくれるかどうか。しかも、最後に見かけたのはもう一年以上も
 前だしな。そもそも、そのお方自身がおっ死んでるかもしれねぇぞ」

「もし会えなくてもいい、がんばって探しにいく」と言い張るねずに、ゾロは渋々ながら
そのお方のことを教えてくれた。そのお方とは、この祠からつづく坂道をずっと上まで登りつめた先、
山の頂きにひっそりと建てられたお寺の境内に住みついている老齢の寺猫なのだという。
名前は誰も知らないが、その猫を知る者からは
『まだらの仏っさま(ぶっさま)』と呼ばれているのだそうだ。

「山の寺に行くには、この坂道を一キロほども登って、さらに百八段ある石積みの階段を
 昇りきらなければならないぞ。仏っさまは境内の奥深くに身を隠しているから、よぉく探さないと
 見つからない。しかも、気の向かない相手だと、絶対に姿を表さないっていう話だ。
 まぁ、おまえみたいなガキに会ってくれるかどうかわからねぇが、
どうしても行きたいっていうのなら、どうぞご勝手に」

 そんな風に言い残して、ゾロは、どこへともなく消えていった。
残されたねずは、もちろん決意していた。
一キロの坂道や(世間知らずの子猫にとって一キロはけっこうな距離ですぜ)、百八の石段なんて、
屁でもない。それよりも、さくらママやパクのぬくもりを取り戻すことができるのなら。
終わりなき後悔と悲しみに、なにかしらの希望を見いだせるなら。

ねずは、千里の道でも恐くないと思ったのだ。


  ~その36に、つづく~


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その36 [第8章 旅立ち]

 ゾロが行ってしまうと、すぐにねずも旅のしたくをはじめた。

えっ、したくって? もちろんトランクに着替えやなんかを詰めたわけではないですよ。
ねずは、ぼた雪で凍えた手足の肉球をペロペロと舐めてあたため、
大きく伸びをして冷えかたまった全身の筋肉をほぐし、祠からつづく坂道をはっしとにらみつけたのだ。

「ねず、行きます!」自分自身に号令をかけて、ねずは走りだした。
どこまでもつづく坂道を、上へ、上へ、上へ。 山へ、山へ、山へ。
溶けかけのぼた雪でおおわれた路面は凍えそうに冷たくて、
ときおりつるんと滑って足をとられるのだけれど、ねずは四本の足でしっかりと大地を踏みしめながら
寺へとつづく道を駆け登っていった。

 祠から百メートルも進むと、そこから先はもう、ねずが通ったことのない道になる。
・・・知らない場所、すなわちそれは、知らない猫たちのなわばり。

幸いなことにこんな天気では猫たちもなわばりの見まわりなどやめて、どこかぬくぬくとした
寝ぐらで丸まっていそうなものだが、そうそう油断もできない。
猫によっては、見知らぬ猫が寝ぐらのそばを通りがかっただけで飛び出してきて追い散らすような、
ケンカっ早い輩もいるのである。

ねずは走るのをやめて、忍び足で歩くことにした。 道のはしっこを、
用心深くあたりを見まわしながら進む。山に沿って登っていくこの道は、左側に住宅が並び、
右側は崖になっていて、クルマや人間が落っこちないようにと金網のフェンスがしつらえられている。
ねずは、そのフェンス沿いに、身を低くしながら歩いていった。

 だんだん高く登って行くにつれ、フェンスの向こう側には、街の風景が顔をのぞかせはじめる。
そこには、ねずがいままで見たこともなかった人間の街の様子が、
まるでジオラマのように広がっていた。

マグロの缶詰ぐらいの大きさにしか見えない家々や、
せいぜいドライフードの一・五キロ袋ぐらいのビル。そのあい間をぬって、
色とりどりのクルマがまるでネズミみたいに走りまわり、ちっぽけな人間たちが寒そうに
肩を丸めながら歩いている。そろそろ午後も遅くなって、夕暮れまぢか。こんなぼた雪の曇り空では、
そんな風景も、あっという間に夜の闇に包みこまれてしまいそうだ。
ねずは立ち止まり、ブルッとひとつ大きく身震いして、身体に降りつもったぼた雪をふり落とした。


「あんた、どこへ行くのサ」
フェンスの向こうから、声が聞こえた。ねずが驚いて声のほうに視線を向けると、
フェンスのすぐ下につづく切り立った崖の、ボウボウと密集した枯れ草の茂みのなかから、
きらりと光る四つの目が見上げていた。

「あんた、どこへ行くのサ」「行くのサ」

四つの目から聞こえてくる声が、ふたつ。おんなじ声とおんなじセリフがぴったり重なり合って、
まるでユニゾンのように不思議に響きあっている。
目を細めて枯れ草の茂みを透かしてみると、ちいさなふたつの猫影が見えた。

「山の上のお寺に行くんだけど…」ねずは答える。「下から来たの、お地蔵さんの祠のとこから」

ちいさな猫影はふたつの顔をちらっと見あわせ、またねずに問いかけた。
「祠って、なにサ」「なにサ」

「えっと…」ねずは口ごもる。お地蔵さんの祠がナニなのか、ねずだって知らない。
「えっと…とにかく、この坂のずっと下にあるとこなんだけど。なんかおっきな石が置いてあって、
それを囲ってちいさなお家みたいになってんの。ねずは、そこで暮らしてたんだ、しばらくのあいだ」

ふたつの猫影は、なにやらひそひそと話し合っていたかと思うと、茂みのなかからぴょっこりと、
かわいいふたつの頭をのぞかせた。

淡いグレーの縞柄に、くるんと大きく見開かれた黒褐色の目。まだ生後一カ月あまりの
双子のちびすけたちは、まったく見分けがつかないほど瓜ふたつ!
ふたりはピンク色の鼻先を突きだして、まだ生えそろわない短いひげをピクピクと動かしながら、
用心深くねずのニオイを嗅いだ。


  ~その37に、つづく~


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その37 [第8章 旅立ち]

「あんた、よそ猫?」「よそ猫?」
双子のちび猫たちが、かわいらしいユニゾンを響かせる。

「う~ん、どうかな?このあたりには、今日、はじめて来たんだけど」 ねずは答えた。

「よそ猫とは、関わっちゃダメ!」「関わっちゃダメ!」
「誰が言ったの?」
「ママ」「ママ」
「ママと、ここで暮らしてるの?」
「あったりまえじゃん」「まえじゃん」

「そうなんだー」ねずは、フェンス越しに、ふたりが座っている茂みの奥をのぞきこんだ。
茂みは奥にむかうにつれて枯れ草がぎっしりと生えていて、その密集した草の葉や茎をじょうずに
かき分けて、まるでちいさなほら穴のような寝ぐらがこしらえられている。
双子のちび猫たちは、ママといっしょにここで暮らしているのだ。
枯れ草のほら穴は、密集した葉や茎が屋根となり壁となって、こんなぼた雪の日でも
乾いていて、居心地よく温かそうに見えた。

「いいお家だね」

「あったかいよ」「かいよ」
そう言うと、ちいさな双子は顔を見あわせて、幸せそうにくすくすと笑った。

ぴったりと肩を寄せながら座っているなかよしの双子を見ていると、
ねずはベランダの暮らしを思い出した。ねずの肩や背中に、ぶち子とくっつきあっていた頃の
ぬくもりがよみがえる。ねずは、またブルッと身震いして、
降りつもったぼた雪といっしょに悲しい気持ちをふりはらった。

「あんた、寒いの?」「いの?」ねずの身震いを見て、双子は首をかしげた。
「こっち、おいでよ」「でよ」
「みんなでくっつくと、あったかいよ」「かいよ」

双子の誘いに、ねずは驚いた。そんなに気軽に、知らない猫を誘っちゃっていいの?
(ほらほら、よそ猫には関わっちゃダメ、って教えられてたんじゃなかったっけ?)
でも、そんな双子の素直さの後ろに、子猫たちを愛おしんで育てているしっかり者のママの姿が見える。
ねずは、なんだかちょっとだけ、そんな家族の一員になってみたい気持ちがして、
誘われるままにフェンスの向こうに入ってみることにした。

 ねずが立っているところから二メートルぐらい先に、金網のフェンスにちいさな破れ目ができている。
どうやらそこが、フェンスのこっち側と向こう側の出入り口になっているようだ。
破れ目はとても狭くて、身体のちいさなねずでもギリギリで頭を通せるほどしかなかったのだけれど、
そこは、それ、猫ですもの。頭につづいて、両肩をちょっとすぼめてするりと抜くと、
あとは難なく通り抜けることができた。

「こっち、こっち!」「こっち!」
うれしそうに跳ねまわる双子に案内されて、ねずは枯れ草のほら穴に入った。
穴の大きさは、ねずをまんなかに、左右にちび猫たちが寄り添って、ちょうどぴったりサイズ。
まさに、双子のためにママがつくったセルフメイドの寝ぐらである。

「あんた、濡れてるね」「てるね」
「舐めてあげる」「あげる」

ちび猫たちは、ねずの頭や背中にしがみついて、ぼた雪で濡れた被毛をペロペロと舐めた。
くすぐったい、ちいさな舌。ぽかぽかとあったかくて、ふんわりとやわらかいふたつのお腹。
ぎゅっと抱きついてくる、八つの手足。

ねずの身体を舐めながらも、ちび猫たちは、双子にしかわからないテレパシーで
おしゃべりでもしているようで、ときどき顔を見あわせてくすくすと笑いあう。
その笑い声が、まるで鈴の音のようにかわいらしくて、ねずの心をまあるく和ませた。

あったかいお家。あったかい時間。まるでベランダでぶち子と暮らしていた頃とおんなじような
幸せのぬくもりに包まれて、いつしかねずは子猫たちといっしょに深い眠りに落ちていった。


  ~その38に、つづく~


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その38 [第8章 旅立ち]

 シュン!鼻先をかすめた鋭い空気の動きに、ねずは、ハッと目を覚ました。

痛ッ。鼻面に鈍い痛みを感じる。
シュン! また鼻先を狙って飛んできた爪の攻撃を、こんどは寸前でかわし、
ねずはとっさに身を低くして狭い寝ぐらのなかで防御の体勢をとった。

 寝ぐらの入口に、鬼の形相の猫がひとり、牙をむきだしにして仁王立ちしている。
双子のママ猫が帰ってきたのだ。
子猫に誘われたとはいえ、主の留守中に寝ぐらに入り込んで、
こともあろうに眠り込んでしまったねずは、だれがどう見ても思いっきり『不法侵入』。
人間だったら、とっくに百十番モノである。
ママ猫はシャーッと威嚇の声をあげて、ねずに怒鳴った。

「アンタ、どういうつもりサ!うちの子供たちを、食っちまおうって腹かいッ?!」

ママの剣幕に、ちび猫たちも不安になって、すみっこに丸まってぶるぶる震えている。
ねずは耳をぺったりと寝かして降参の態度をアピールしながら、あわてて言い訳した。

「ごめんなさい、ごめんなさい。お留守中に入り込んで、ごめんなさい」ねずはもう、平謝りである。
「でも、そんなつもりじゃないんです。あの、双子がとってもかわいくて、招かれて入ったら、
とってもあったかくて。それで、ついつい、眠っちゃたの。ごめんなさい、ごめんなさい。
これから山のお寺に行くんです。あの、下のほうから来たんです。
仏っさまに会わなきゃならなくて。だから…」

 あわてふためくねずの弁明は、なんだか支離滅裂である。
それでもママ猫は、ねずがまだ大人になりきっていない若猫で、野っぱらの掟も知らない
世間知らずではあるけれど、悪意のある泥棒猫ではなさそうだと判断したらしい。
ようやく牙をしまい、首の逆毛も寝かせて、ねずの顔をにらみながら言った。

「とにかく、この家から出ておいき!」

ねずは、大あわてで枯れ草の寝ぐらを飛び出した。
入れ替わりにママ猫が寝ぐらのまんなかに身を沈めると、たちまち双子たちが重なるように寄り添って、
うれしそうにゴロゴロとのどを鳴らした。

「ほんとに、ごめんなさい。でも、子猫たちを怖がらせたりしてないと思う…」
寝ぐらの入口からふりかえってねずが詫びると、ママ猫は双子を抱きしめながら言った。

「アンタ、覚えておおき。母猫は、気が短いんだよ。もしこの寝ぐらがもう少し大きくて、
 この子たちがアンタにぴったりとくっついて寝ていなかったら、あたしはきっとアンタの喉笛に
 食いついていたよ。鼻先のひっかき傷ぐらいですんで、感謝してほしいもんだね」

ねずの鼻先はズキズキと痛み、まだすこしばかり血がしたたっている。
でも、それほど深い傷ではなさそうだ。ねずは舌をのばしてペロリとひと舐めして痛みをいやした。

「アンタ、これから山のお寺に行くのかい?」
「そうです、まだらの仏っさまを探してるの」

「ふうん。ま、どういう事情があるのか知らないけど、山のお寺に行くのなら、急いだ方がいい。
 雪は止んだけど、今夜は冷え込みそうだからね。夜更けになると、濡れた石段が凍って氷が張るよ。
 氷の上を歩くと、こごえた肉球が氷にくっついて、皮膚が破けてしまう。
 その傷がもとになって、びっこになった猫もいるって話さ」

「じゃあ、急いで行かないと。ここからまだ遠いんですか?」

「まだこの先、上り坂が半キロはあるね。坂を登りきったところに大きなお寺の門があって、
 そこから先が石段さ。あたしだって、石段の下までしか行ったことがないんだ。
 でも、ときどき夜遅い時間に、お寺の門の脇のところにお情けキャットフードが置いてあることがある。
 今夜はこんな天気だから人間だって表に出てきたくもないだろうし、置いてあるかどうか
 期待はできないけど、ちょっと探してみてもソンはないさ。石段を昇る前に腹ごしらえでもしないと、
 アンタみたいなチビじゃもたないよ」

「いろいろとありがとう、ほんとにごめんなさい」
ねずはママ猫にペコリと頭を下げて、出かけることにした。
ねずを見送って、双子のちび猫たちが寝ぐらの入口から顔をのぞかせる。

「よそ猫をお家に入れちゃダメ!」「ダメ!」覚えたばかりの教訓が、かわいいユニゾンで響いた。


  ~その39に、つづく~


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その39 [第8章 旅立ち]

 フェンスをくぐって道路に出ると、雪はほとんど止んでいた。

長い時間眠ってしまっていたらしく、あたりはすっかり夜。
道ばたの外灯に照らされて、路面がじくじくとみぞれ状の雪におおわれているのが見てとれる。
外気は身震いしたくなるほど冷たく、ママ猫の言ったとおり、このままだと
路面が氷で覆われてしまいそうだ。

急がなきゃ!
ねずは大きく息をひとつ吸い、心にエイッと気合いを入れて、駆け足で坂を登りはじめた。

はっ、ほっ、はっ、ほっ。スピードがにぶらないように、リズミカルに足を運ぶ。
えっ、さっ、ほい、さっ。 おっとっと、つるん!

路面にはところどころにみぞれ雪がたまっている部分があって、
ときおり足をとられることもあったが、半キロの道のりにそれほど長くはかからなかったと思う。
それでも坂道を登りきって、大きなお寺の門にたどりついたときには、
四本の足はまるで凍えたアイスキャンディのようになっていた。

そのうえ、ぐううううう~。
だあれもいない夜の道、聞こえてくるのはねずの腹の虫の悲痛な叫びだけ。
思えば、きょうは、朝からほとんどなにも食べていないのだ。

「お寺の門まで来たら、お情けキャットフードを探してみな」

ねずは、ママ猫のありがたい助言にしたがうことにした。

 お寺の門はまっ黒に古びた木づくりで、高さ二メートルほどもありそうな大きな扉が二枚、
立派な太い柱に支えられている。二枚の扉は、鉄製の大きな閂で閉ざされていて、
毎朝五時前にお寺の小僧さんが開けに来るまで、なかには誰も入ることができないようになっていた・・・
・・・というのは、もちろん人間にとっての話。

閉ざされた扉と地面とは十五センチほどもすき間が空いているので、
猫にとっては扉などないも同然である。ねずはまず、扉のこちら側から探しはじめた。

クン、クン、クン。鼻先に神経を集中させて、嗅覚をフル稼働する。

ママ猫にひっかかれた傷がまだ痛んで、すこし感覚が鈍っていたものの、腹へり猫の鼻は
この世でもっともスルドイもののひとつ。

あっち! ほのかなキャットフードの匂いを嗅ぎあたねずは、
扉をくぐって、右側の太い柱の裏側へとまわりこんだ。

すると、Ohhh、神さま、仏さま!
柱の裏側には大きなどんぶり鉢が置かれていて、そのなかにキャットフードの粒々が入っていた。

もうすでにいろんな猫が食事に来たあとらしく、どんぶり鉢の外にも食べかすが散乱している。
それでもどんぶり鉢のなかには、まだひとつかみほどの粒々が残っていた。
空腹の限界に達していたねずは、あたりをよく確かめもせずにどんぶり鉢に頭をつっこむ。

カリカリ、むしゃむしゃ、ごっつぁんです。
ひとつかみほどの粒々なんて、あっという間にお腹のなか。
物足りないので、どんぶり鉢の外に散らばっている食べかすさえもひとつひとつ拾って食べる。
ひとしきり拾いおわって、もっとどこかに落ちていないかとあたりを見まわしていると・・・

「!!!」

柱の向こうの暗がりに、金色に輝く粒々がふたつ!
もしかしてこれは、大当たり・金のキャットフード?
・・・って、そんなモノがあるわけなくて、それは暗がりにひそんでいた猫の目だった。


  ~その40に、つづく~


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その40 [第8章 旅立ち]

 「そんな白線、見たことない顔だね。あんた、誰のお許しで、ここでゴハン食べてるんだい?」
金色の目の持ち主が、低い声で言った。猫の姿は暗闇に溶けていて、ねずには金色の目しか見えない。

「スミマセン、あの、あたし、双子のママに教わったの」

「へぇ~、あの気の強い『りりぃママ』が教えたのかい?ご親切なこった。
りりぃも、ママやってる間は、よそ猫の面倒見もよくなるのかねぇ」

「スミマセン、みなさんのなわばりで、勝手にゴハン食べちゃって…」

「ま、もう残り物だったからね。見つけたあんたのモンってことにしてやるよ。
 いい食べっぷりだったけど、どっからやって来たんだい?」

「坂のふもとの、お地蔵さんの祠のところから来たんです」
「けっこう遠くから来たもんだね。で、どこへ行くんだい?」
「山のお寺へ」
「ふうん、じゃ、この石段を昇るつもりかい?」
「ハイ、ねずは、まだらの仏っさまに会いに行くの」

「白線ちゃんは、ねずっていうのかい? ほっほっほっ、みすぼらしい名前だねぇ。
 あたしは、キン子。 この辺じゃ、『忍びのキン子さん』って呼ばれてるんだよ」
そう言うと、金色の目の持ち主は、暗がりから姿を現した。
まっ黒でふさふさの長い毛に包まれた、大きな肢体。ねずに比べると、ふた回りほども大きいだろうか。
そのジャンボサイズの身体をふわりと弾ませてひとっ跳びすると、
キン子さんは音もなくねずの目の前に着地した。

「ね、金色の目のキン子さんは、この身体に似合わず身が軽いだろ?だから、忍びなのさ。
 で、みすぼらしい白線のねずちゃんは、どうやってこの石段を昇っていくつもりなんだい?」

 ねずは、目の前に立ちはだかる石段を見上げた。石段は、一段の高さが五、六十センチほどもある。
このぐらい高さがあると、身体のちいさなねずなら、まず上の段に前足をかけて後ろ足で下の段を蹴り、
一段一段ジャンプする要領で全身を跳ね上げながら昇っていくことになりそうだ。

「一段ずつジャンプして昇ります」
「ほっほっほっ、一段ずつジャンプね!この石段が、いったい何段あるのか知ってるの?」
「百八段・・・」

 黒覆面のゾロが言っていた。山のお寺につづく百八の石段は、そんなにかんたんに
昇りきれるものじゃないって・・・。それでも、ねずは昇らなければならないのだ。
どうして昇らなければならないのか、理由はもうなんだかよくわからないのだけれど、
ただどこから湧いてきたとも知れない内なる感情が、ねずに、ここを昇れと命じているのだった。

「今夜は冷え込んでいるから、そろそろ石段の表面に氷が張りはじめてる。あんた、氷の上なんか、
 歩いたことないだろ?氷の表面で踏んばって、ジャンプなんかしてるとね、
 凍えて冷たくなった肉球の皮が氷にぴったり貼りついて、ボロボロと剥げてくるんだよ。
 薄くなった皮がまた凍えて、最後には凍傷になっちまう。
 そのあとが治らなくて、歩けなくなっちまう猫もいるんだよ。
 それでも、あんたは今夜、この石段を昇るって言うのかい?」

「ハイ!」ねずの決意は固かった。
たとえ足を失うことになろうとも、ねずはいま、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。

「本気なんだね」キン子さんの金色の目が、キラリと怪しい光を放った。
「じゃあ、このキン子さんが、とっておきの忍びの術を教えてやるよ。肉球じゃなく、爪を使うんだ。
 まず前足の爪を氷の表面にアイスピックみたいに突き刺して、お腹の毛皮を氷の上で滑らせるのさ。
 ほら、やってみな」

キン子さんに教わったとおり、ねずは、一段目の石段のできるだけ奥のほうに前足の爪をくい込ませた。
お腹の被毛を石段のヘリの氷に押しあてる。それから後ろ足の爪でちょっと蹴ると、あらあら不思議。
ほとんど力を入れなくても、つるんと上の段に昇ることができた。

「ほら、かんたんだろ?これがキン子さんの極意、『氷の段滑り』さ。
 氷の張った夜の石段を百八つも昇るときは、これに限るんだよ。さぁ、とっとと行きな。
 この技も、あんまりぐずぐずやってると、爪が冷えて折れてしまったり、お腹から体温を奪われて
 意識を失ってしまうからね」

ねずは、キン子さんがしゃべっている間にも、もう次々と石段を昇りはじめていた。
爪をガリッと突き立てては、お腹をつるん。ガリッと立てて、つるん。
何段も昇るうちに、前足の爪がズキズキとうずき、お腹が冷たくて心底寒さが身にしみたけれど、
めざすお寺はもうすぐそこ。
ねずは、一度も休むことなく、とうとう百八つの石段を昇りきった。


  ~第9章に、つづく~


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