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第9章 仏っさまの教え ブログトップ

その41 [第9章 仏っさまの教え]

 百八の石段を昇りきって、ようやく山のお寺の境内にたどりつきはしたものの、
ねずは精も根も尽き果てていた。 寒さで体温を奪われ、息もたえだえ、といった状態である。

しがみつくようにして身体を滑りこませた最後の石段のうえにどすんと倒れ込んで、
もうこのまま深い眠りについてしまい、と思う。
でも、そうしちゃいけないと、野生の本能がねずを叱った。

 「トニカク乾イタ場所ヲ見ツケロ!」からっぽの頭のなかで、本能は叫ぶ。
 「ソレガ見ツカッタラ眠ッテヨシ!」

 まだ夜明け前の境内は、まっ暗で、一寸先は闇のなか。
いちばん上の石段から石畳の小道が奥へとつづいているが、その先になにがあるのか、
猫の目にだって見えない。小道の両側はこまかなジャリ石を敷きつめた広場になっていて、
広場のまわりには手入れの悪い庭木の列がぼんやりと見てとれる。

とにかく、どこか、茂みを探そう。
茂みの下には、それほど濡れていない落ち葉だまりがあるかもしれない。
・・・ねずは疲れた身体にムチ打って、ジャリ石の広場に足を踏みだした。

 キン子さんに教わった『氷の段滑り』で凍傷こそまぬがれたものの、
凍てつく氷に傷めつけられた肉球は、ジャリ石を踏むたびにヒリヒリと痛む。
ねずはよろける足どりで、庭木の列へと近づいていった。

 境内の広場を囲むようにして植えられた庭木は、
ツバキやサザンカやキンモクセイといった枝が細くて葉っぱもちいさな低木ばかりで、
昨日の午後から半日以上もじくじくと降り続いた水っぽいぼた雪を受け止めて、
根本のあたりに乾いた落ち葉だまりを残してくれているような都合のいい茂みは見あたらない。
まばらに植えられた庭木のあいまは、うっすらと苔の生えた固い黒土の地面で、
どこもかしこも溶けかけのかき氷をぶちまけたような冷たいみぞれに覆われている。

もう、この凍えた地面に倒れ込んでしまおうか・・・
ねずはなんどもくじけそうになって座り込み、そのたびに、身体のどこか奥のほうにある
野生の生命力に突き動かされてどうにかこうにか立ち上がった。

庭の木立は、見かけよりは奥が深く、暗がりのなかをどこまでも続いている。
ほんとうに、もう、歩けない。そう思って、ねずがのろのろとした歩みを止めようとしたとき、
ふと目を向けた右手の奥に一本だけ、太くて堂々とした幹が見えた。

それは、ごつごつとした根をはりめぐらせながら大地に立つ、立派な桜の樹だった。

 人間の大人の腕でふたかかえほどもありそうなその幹には、白い紙の垂に飾られた
立派なしめ縄が結わえられている。このお寺が建立されるずっと前からこの地に根付いている大樹で、
樹齢はとうに三百年を超えるかとおぼしき老桜。

古くからこの山を守り鎮めるありがたい存在として地元の人たちに祀られ、
『ご鎮守さん』と呼ばれてあがめられてきた山の神さまである。
百年ほど前、この地にお寺が建立されることになったときも、ご鎮守さんはそのままの場所に残された。
そして、いまもこの山の神さまとして、境内の一隅でひっそりと生きつづけているのである。

 あの大きな樹の下なら、乾いた場所があるかもしれない。
ねずは、最後の気力をふりしぼって、ご鎮守さんの根本にたどりついた。
 そして、ヤッホー! ついに見つけたのだ。
いまこの悪天候の真冬の夜明け前に、この境内で最上の、そしておそらく唯一の居心地のいい寝床を。
それは老桜の太い幹に、ぽっかりと口を開けている『うろ』だった。

  ~その42に、つづく~


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その42 [第9章 仏っさまの教え]

 うろの入口は根本から四、五十センチの高さにあり、
ちょうど人間の広げた手のひらぐらいのサイズのいびつな楕円形。
いっぱしの猫ならひょいとひとっ跳び、ねずの身体つきなら、らくにくぐれる大きさである。
有頂天のねずは、足が痛いのも忘れて、うろのなかにジャンプした。

 どすん、ふかり! あぁ、ご鎮守さん、ありがとうございます。

うろのなかは、ふんわりとした枯れ苔がいっぱいにたまっていて、ねずの傷ついた肉球を
やわらかく受け止めてくれた。おまけに、枯れ苔のクッションは乾いていて、
極寒の地面をさまよってきた身体にほんわかと温かい。

ねずは、そのまま倒れ込んだ。そして意識を失うようにして、深い眠りに落ちていった。
おせっかいな野生の本能が、頭のなかで「オイ、アタリヲ確カメナクテモイイノカヨ」って
ぶつくさ言ったような気もしたが、そんなこと、いまはもうどうだっていい。


 ねずは、こんこんと眠り続けた。夜が明けて、昨夜の雪がうそのように晴れわたり、
まぶしい朝日がご鎮守さんの幹を照らしても目を覚まさなかった。

お昼になって、そろそろ春を思わせるあたたかな日ざしが降りそそぐ頃になっても目を覚まさなかった。
それどころか、日ざしに包まれてぽかぽかと温められたうろのなかで、ますます眠りは深くなる。
・・・それは、ベランダに帰れなくなってしまった日以来、はじめてねずに訪れた、
とっぷりと深く安らかな眠りだった。

 満ち足りた眠りのなかで、ねずは夢を見ていた。

お地蔵さんの祠のなかにはキャットフードが山盛りに供えられていて、いつものゴミ捨て場には
新鮮なマグロのおさしみが落ちていて、公園のお皿オバサンの袋からでてきたのは、
甘いホイップクリームがはみだしそうなほど詰まっているシュークリーム!

しかも、なぜだかあたりにはただの一匹も猫がいなくて、それがぜ~んぶねすのもの♪
じゃ、シュークリームからいただきまーす、とかぶりつこうと思った瞬間に、
食いしん坊の茶太郎にサッとかっさらわれてしまうような展開も、まぁ、ありがちな夢のストーリーで。
ねずのお腹は、眠りながらもぐぅぐぅと哀しく鳴ってしまうのだ。

 そんなとりとめない夢のひとコマのなかで、ねずは、ぶち子と寄り添っていた。
ベランダの猫箱のなかで、お互いに頭はそっぽを向けているのだけれど、
背中とお尻をぴったりとくっつけあって眠っている。

それは、ほんのちょっと前までの、ふたりの日常。

お腹のしたはママの毛みたいなシャギーなクッションで、くっつけあった背中から、
ぶち子のぬくもりや安らかな息づかいが伝わってくる。
夢のなかでねずは、ぶち子の寝息を数えていた。ひとつ、ふたつ、みっつ。
みっつ目のあとに、なんだかムニャムニャと寝言が聞こえた。
うふふ、きっとゴハンの夢でも見てるにきまってる! そしてまた、寝息がひとつ、ふたつ、みっつ・・・
と、突然、背中にぶち子の息づかいが感じられなくなった。

息づかいだけではない、ほんのりと背中を温めてくれていたぶち子のぬくもりも、もはや
そこにはなくなっている。背中に感じるのは、冷え切って固くなってしまった物体。・・・それは、
ナンニモなくなってしまったさくらママやパクの、恐ろしいがらんどうのような骸を思い出させた。

 ぶち子が、ぶち子がッ!パニックに襲われて、ねずは、はっと目を覚ました。
ぶち子がどうなってしまったのか、急いで自分の背後を確かめる。
背中にあたっていたのは、ぶち子ではなく、ゴツゴツとした木の壁だった。

 驚いたねずはあたりを見まわした。

もちろんそこは、ベランダの猫箱ではなくて、まっ暗なうろのなか。
あまりにも長い時間眠っていたせいか、いま自分がどこにいるのかも把握できない。
それでも、ぶち子が冷たい固まりになってしまったのは夢の中の出来事だったと気づいて
ほっと息をつき、やがて、凍りついた石段をのぼって山のお寺にやってきて、
ご鎮守さんのうろに入り込んで眠ってしまったのだということを思い出した。

   ~その43に、つづく~


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その43 [第9章 仏っさまの教え]

後味の悪い夢のなごりをふりはらって、ねずは、ちいさく伸びをした。

 ・・・どのぐらい眠っていたんだろう?  (丸一日ですよ、ねずちゃん)

うろから鼻先を出して、あたりの様子をうかがってみると、外はまっ暗で、静まり返っている。

 夜明け前だ、きっと。 ・・・野生のカンが、ねずに告げる。
じゃあ、丸一日も眠ってしまっていたのだろうか?  (だから、そうなんだってば!)

ねずは、あたりに危険がなさそうなことを確認すると、うろからぴょんと飛び降りて、
凝り固まっていた身体をゆっくりと伸ばした。

 はるばる山のお寺にやって来た目的は、『まだらの仏っさま』に会うためだったよね。
・・・ねずは自問する。仏っさまに会って、心に住みついた『?』の答えをもらうんだったよね。
そして、ナンニモなくなったさくらママやパクのぬくもりを取り戻してもらうんだったよね。

でも、このお寺の一体どこに、仏っさまはいるのだろう?
暗闇のずっと奥にまでつづいている広い広いお寺を見やって、ねずは途方に暮れてしまった。

たしか黒覆面のゾロは、「仏っさまは、気の向かない相手だと、絶対に姿を表さない」って言ってた・・・
こんな遠いところまでやって来たのに、仏っさまに会うことはできないのかもしれない。
ねずは悲しい気持ちになった。これからどうすればいいんだろう・・・。

 ぐぐぐぐぐぅぅぅぅぅぅ。

 それなりに情感あふれるシーンだったのに、なんだかその場に似つかわしくない音響が?
と思ったら、あれまあ、ねずの腹の虫の叫びである。

まぁ、命がけで百八の石段を昇りきって、そのあと丸一日も眠りこけて、ずっと飲まず食わずですもの。
腹の虫だって、場面をわきまえずに騒ぎ立てたくもなるだろうさ。
そして、空腹が猫にもたらす生体反応として、ねずの嗅覚が研ぎすまされた。

 あっちに向けてクンクンクン。こっちのほうもクンクンクン。 ん?
 なんだかこっちのほうから漂う匂いに、食欲センサーが反応しちゃうかも?

かすかな匂いに引き寄せられて、ねずはふらふらと歩きはじめた。
庭木のあいまをぬって、お寺の本堂へと近づいていくと、かすかだった匂いはだんだん濃くなって、
甘いような煙たいような香りが嗅ぎとれるようになった。そして、そんな不思議な香りにまじって、
いかにもキャットフード的な香ばしい匂いが、たしかにする。

 ん?ん?ん? 匂いは、本堂の裏手のほうから漂ってくるようだ。

いまやねずは、もう歩いてはいない! 足の痛みも忘れて、スタタタタタッと宙を飛ぶ勢い。
お寺の本堂は百年の歴史と風情を感じさせるなかなか立派な建造物なのだが、
そんなモノには目もくれず、ねずは超特急でその裏側へと回り込んだ。

 あああああ、さすがお寺! 仏さまのお慈悲に感謝を!

本堂の裏手には、ちいさなお堂がひっそりと建っていて、お堂の入口の賽銭箱の脇の地面には、
あきらかに猫用と思われるお皿が置いてあったのだ。もちろん、キャットフードの粒々入りで(!)

もはや食欲のかたまりとなってすっ飛んできたねずは、まっしぐらにお皿に突進し、
脇目もふらずキャットフードに食らいついた。

 「アタリナド、確認スル必要ナシ!」
 飢死寸前の場合は、用心深い本能だって、生命維持を優先する。

   ~その44に、つづく~


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その44 [第9章 仏っさまの教え]

 人間のふたつかみほども入っていたお皿のキャットフードをぺろりと平らげて、
まだまだ食べ足りない感じではあるものの、ひとまずは腹の虫も落ちついたところで、
ねずはようやくお皿から顔をあげてあたりを見まわしている。
キャットフードの匂いといっしょに漂ってきた、甘いような煙たいような香りは、
このお堂のなかで焚かれているお香の匂いだった。

 その匂いは、お地蔵さんの祠でときどき焚かれていたお線香の匂いにすこし似ているようだが、
もっと甘やかで怪しげな感じがする。猫の嗅覚にはちょっと刺激が強すぎるけれど、
けっして嫌ではなく、ふと誘われてしまいそうな匂い。
ねずは、その匂いをもっと嗅ぎたくて、お堂の入口の賽銭箱に飛び乗った。
 
 賽銭箱の上に乗ると、すぐ目の前がちいさなお堂の扉である。
扉は木の格子造りで、すきまから薄明かりとお香の匂いがこぼれてくる。 あたりは夜明け前の
静けさに包まれて、思わず背筋をのばし、居ずまいを正したくなるような清廉な空気が漂っていた。

 「ほう、ねずとやらは、ようよう辿りついたようじゃの?」

 お堂のなかから、しゃがれた声が聞こえた。
そして、声とともに、ギギギギギときしむ音を立てながら、格子の扉が左右にゆっくりと開いた。

お堂のなかには、古びた観音さまの木像がひとつ。
足もとに灯されたろうそくのほの明かりが、その姿を照らしている。
ろうそくの横の香炉からは薄紫色の煙が立ちのぼり、お堂のなかを甘やかな香りで満たしている。
そして、観音さまの右脇に、なにやら黒っぽい貧相なカタマリが鎮座していた。

 他でもない、それが、声の主である。

 「誰ぞがやって来そうな気配がしてから、ずいぶんと時間が過ぎてしもうたで、
 もう来られんようになったかと思うとったんじゃがの」
 しゃがれ声の主はそう言って、うほほ、と陰気くさい笑い声をたてた。

ねずは、どきどきしていた。 声の主は、背後から照らすろうそくの明かりが逆光となって、
不気味な暗褐色のカタマリにしか見えない。声を発しているので生き物ではあるようだが、
やけにちいさくて、いびつで、ひしゃげている。

これが、探していた『まだらの仏っさま』なのだろうか?
そもそも、このひしゃげたカタマリが猫だなんて、そんなことあり得る?

 「わしが誰かわからんので、とまどうておるな?」カタマリは言った。
 「ぬしは、わしを探しにはるばるやって来たのじゃろうが」

 「あの・・・」ねずは、おそるおそる口を開いた。「あなたが『まだらの仏っさま』なんですか?」

 「まぁ、わしは、この寺に長いこと住みついた、ただの老いぼれの寺猫じゃが。
 そこいらでは、わしのことを仏っさまとか呼ぶ輩もおるんじゃろうかの」 そう言いながら
カタマリは、ずずずと這うようにお堂の入口ににじり寄って、ねずのすぐ目の前に陣取った。

 間近から見ると、さすがにもうカタマリではない。声の主は、たしかに猫のようだった。
齢二十年はゆうに超えているだろうと思しき老猫で、
左の眼はつぶれ、目やにで固まったまぶたは、もう開けることもできない。
黒褐色にほんのすこし金茶色がゴマ塩風に混ざったまだら毛のようだが、もはや全身が禿げちょろけ。
ところどころに灰色の皮膚が透けていて、もとの毛並みがどうだったかなんて想像もつかない。

まだ大人になりきっていないねずよりもちいさく、痩せこけていびつに縮んでしまった肢体。
惨めに毛の抜けた尻っぽがひょろひょろと伸びて、みすぼらしい頭にひらひらと
紙っぺらのようにくっついている耳は、片方が半分裂けている。歯のない口元はゆがんで、
暗紅色の舌がはみだしていた。

 そう、まさしくその風貌は、妖怪変化か?猫股か?

こんな夜明け前のお寺の境内で出くわしたら、
誰もがギャッと叫んで逃げ帰りたくなりそうな姿形である。 ・・・とはいうものの、
なぜか、その全身から漂ってくる気配は穏やかで、恐ろしさを感じさせないのが不思議だった。

   ~その45に、つづく~


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その45 [第9章 仏っさまの教え]

 「ふもとのお地蔵さんのところから来たんです」おそるおそる、ねずは言った。
 「ゾロに教わって。ゾロが、まだらの仏っさまなら、きっと答えを出してくれるからって。
  だから来たんです。雪で凍えて、足がもげそうなほど痛くって。でも、後戻りせずに登ってきたの・・・
  だって、もう帰れないから。仏っさまにお願いしないと、ねずはもう、どこにも帰れない・・・」

ねずの目から、涙があふれだした。大粒の涙がぽろぽろと、ねずの鼻面を伝って落ちる。
涙は止めどなく湧いてでて、しばらくのあいだ、ねずは仏っさまの前でただただ泣きじゃくっていた。

 涙のあいまに、ねずは、ぽつぽつと思いを吐きだしていった。
お地蔵さんの祠に置き去りにされたこと。ひとりぼっちで、食うや食わずで生き延びて、
ようやくベランダに居場所を見つけたこと。ぶち子といっしょに過ごした日々と、
ずっとつづくと思っていた穏やかな毎日と。そうしたら突然、さくらママとパクが冷たくなって、
ナンニモナクなってしまったこと。パクがねずのせいで魔物に跳ねとばされたことや、
その瞬間ねずの心をかすめ去っていった、ごちゃまぜのパクの思念のことも。

そんな思いが次から次へと、止まらない涙といっしょにねずの心からあふれでて、
言葉の滴となってこぼれ落ちていった。

 「だから、取り戻したいの!」ねずは叫ぶ。
 「さくらママやパクのぬくもりを。ナンニモナクなった身体にぬくもりが戻れば、
 きっと、すべてが、もと通りになる。そうしなきゃ、ねずは、もう帰れないの。ベランダに!
 ぶち子のとなりに!あたりまえの、ふつうの猫に!」

仏っさまの前で泣きじゃくりながら、ねずは、自分のなかに吹きだまっていた悲しみの源が
なんだったのか、ようやくわかった気がした。 ・・・ねずは、戻りたかったのだ。 怒りや、死や、
憎しみといった、重くて背負いきれないお荷物のことなど知りもしなかった無邪気な自分に。

 ねずが涙ながらに思いの丈をぶちまけているあいだ、仏っさまはひと言も口をはさむことなく、
両のまぶたを閉じ、首を右にすこし傾けたまま、身じろぎもせずに座っていた。
そして、とうとうねずが心にわだかまっていた思いをありったけ吐きだし、涙も枯れ果て、
しゃべり疲れて黙りこくってしまったころ、仏っさまは静かに口を開いた。

「のう、ねずよ」仏っさまは、のんびりとねずに話しかける。
「ぬしは、ついいましがた、そこで飯を食ったじゃろう?」
「ハイ、食べました」
「どうじゃ、うまかったかの?」
「ハイ、おいしかったです。だって、ずっと、なんにも食べてなかったから」
「その飯、どうして、そこにあったんじゃと思うな?」
 
「・・・・・???・・・・・」ねずには答えられなかった。
 だって、猫は、どうしてそこにキャットフードがあるのかなんて、考えてみたりしない。

「その飯はな、ねずや。ここのお寺の小僧さんが、毎朝夜明け前にやってきて、お堂にろうそくを
 灯してお香を焚くついでに、置いていってくれるのじゃよ。ここだけじゃない、お寺の入口の
 脇っちょのほうにも、飯を盛った皿が置いてあるはずじゃ」仏っさまは、ほっと息をついた。
「それに、ほれ、おまえさん、寺の石段を昇る前に、ふもとの門の脇で腹ごしらえをせんかったかの?」

「そういえば・・・」
たしかに、ねずは、門のところで食べ残しのキャットフードをいただいたのだ。あそこで
エネルギーを補給できたおかげで、ねずは凍てついた石段を昇ってくることができたのだと思う。

「あっちの飯は、の。近くの猫好きの爺さまがもってくるのじゃ。雨が降ろうと、雪が降ろうと、
 その爺さまは毎晩やってくる。もう九十になろうかという老いぼれジジイじゃがのぉ、
 ありがたや・・・」そう言って、仏っさまは、爺さまの顔でも思い出したのだろうか。
懐かしそうな表情で、目を細めた。

「わしら、猫はのぉ」仏っさまは、のんびりとつづける。
「しょせんは、人間さまに拾われとる命なんぞ」

「ニンゲンサマニ、ヒロワレトル、イノチ???」

ねずには、仏っさまの言っていることがよくわからなかった。
ゴハンが見つかるのは人間が置いていってくれるから、という部分はおおむね理解できたが、
命が拾われるって、どういうことなんだろう?

きょとんと小首をかしげるねずを見て、仏っさまはすこし考えこみ、
やがて言葉を選び選びしながら語りはじめた。・・・そのお話は、あらまし次のようなものだった。

   ~その46に、つづく~


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その46 [第9章 仏っさまの教え]

 我ら、この世に生まれ落ちたものは、みんな命をもっている。

命とは、どこからやってきたのかなど誰にもわかりっこないのだが、
母親の腹を借りて、この世のどこかに生まれ落ちるものである。
 
そして命とは、どんな境遇に生まれ落ちようと、生き長らえるべき宿命を背負っている。
猫ならば、母親に守られようと見捨てられようと、たとえひとりぼっちになろうとも、
食べもので命のともしびを燃やし、安らかな眠りでそのともしびを長らえさせていかねばならぬのだ。

 それが、この世の掟。 生きとし生けるものすべての定めなのである。

しかるにこの現代の世において、猫は、いかに食べ、長らえればいいのか?

ひと昔も前なら、屋根裏でネズミを追い、川で魚を捕り、野で小鳥をしとめることもできたやもしれん。
だが、もはや屋根裏にネズミさえ住めないこの殺伐とした世の中で、
野生の捕獲能力すら失ってしまった我々は、どう長らえることができよう?

こんな世を生みだした人間さまの、同じその手にすくわれて、居場所をゆるされ、飯を恵まれ、
生き長らえていくより他にない。

 つまり、我ら猫はみな、人間さまの手のひらで生かされておるのだ。

だがしかし、かくある人間さまは、どうだろう?
人間さまの命と、我ら猫どもの命と、なにほどの隔たりがあるのだろうか?

 わしは、もうかれこれ二十年以上もこの寺に住みついて、ご本尊さまのお膝で昼寝をし、
観音さまの足もとで夜露をしのぎ、本堂の床下で和尚さまのありがたい説法に耳を傾けてきた。
ご本尊さまに救われんと願う幾百もの煩悩や、不浄のこころ、死者の御霊をも見送ってきた。

そして、ようよう、この歳になって気づいたのじゃ。
 『その命と、この命。なんの隔たりもありはせぬ』
・・・それは、どちらも天上の御仏から授けられた、
まぎれもなく、この世でもっとも尊ぶべき生命というもの。
我らが今生のすべてをかけて守るべき、唯一無二の存在である、とな。

ねずや、考えてもごらん。
我ら猫どもが、人間さまの手のひらで生かされているように、人間さまもまた、
御仏さまの手のひらで生かされておるのだ。

そして、ねずや。今生の命というものは、かならずや、ついえる。・・・死は、この世の定めなのじゃ。
だが、ねずや。けっして死を恐れてはならぬ。
死は、終わりではない。今生での死は、御仏さまのもとへ戻り、
もういちど新たな命としていつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ・・・・


 話を終えた仏っさまは、ほぉっとひとつ深いため息をつき、
開くほうの片目でねずの顔をのぞきこんだ。 神妙に聞き入っていたねずは、
仏っさまの眼光が驚くほど強くてあたたかいことに、その時はじめて気がついたのだ。

 さて、長くてムズかしいお話のあいだ、ねずちゃんはどうしていたのだろう?
もちろんねずは、仏っさまのお話をすべて、ちゃんと聞いては、いた。
でも、聞いていた、っていうのと、理解した、っていうののあいだには、深~い隔たりがあるんです。

というわけで、結局ねずにはちんぷんかんぷんだったのだ、仏っさまのありがたい説法も。
 (こういうの、猫の耳に念仏って言うんだっけ?)
ねずの目をのぞきこんだ仏っさまは、目尻を下げてほほっと笑い、長いお話を締めくくって言った。

「つまりは、ねずや。命を粗末にしてはならん、ということじゃ。さくらとやらも、パクとやらも、
それらの死は、ぬしのせいなどではない。それは天の定め、天寿なのじゃ。
だから、何人にも取り戻すことはできぬ。 生者必滅、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏!
悼みこそすれ、さほど嘆き悲しむことではないわ」

仏っさまは、つづける。「ねずよ、死を恐れる必要はない。それよりも、恐るるべきは、
その命をおろそかに生きてしまうことじゃ。誰ぞの手のひらで生かされとるわれわれは、
その生を、きちんとまっとうせねばならぬ。そして、わしはこのごろ思うのじゃが・・・」
仏っさまは、まっすぐな眼光をねずの目に放ちながら言った。
「この世に生まれ落ちた命には、そのひとつひとつに背負わされた役割というものがある。
その役割をこの世で果たすために、命は生まれてくるのじゃ。
もちろんわしの命にも、そしてほれ、ぬしの命にも」

「役割・・・?それって、ねずが、やらなきゃいけないことって意味ですか?」

「その通りじゃ」仏っさまの眼光が、一瞬、カッと燃えあがった。
「そして、ぬしが最初に果たすべき役割のときが、なにやら近づいてきているように見えるがの・・・」

仏っさまはそう言ってまぶたを閉じ、すこしのあいだ思案していたが、やがて目を開けて言った。
「この寺の裏手に、人間さまの墓所がある。 そこは、猫がすみっこで居候していても許されとる、
ありがたい場所じゃ。 ねずよ、ぬしは、しばらくそこで暮らしてみるといい。
朝晩の飯には困らんし、居心地よい寝ぐらも見つけられようぞ。 ・・・そうして、時を待て。
じきにおまえが役目を果たさねばならぬ出来事が舞い込んでくるじゃろうて」

   ~第10章に、つづく~


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