SSブログ

その2 [第1章 居てもいい場所]

 ねずが隠れ家にしていたお地蔵さんの祠は、
ちいさな山の上のお寺へと登っていく細くて急な坂道の入口にある。
あたりは山の斜面に沿った静かな住宅地で、祠の向かい側には小ぶりのマンションがふたつ、
となり合わせに建っていた。

 祠から向かって左のマンションは五階建てで、
一階がスナック、二階がオフィス、三階から五階が住居用の貸部屋になっている。
敷地が狭いので、各階ごとに部屋はひとつずつ。
で、ねずの祠のあたりから視線を斜め四十五度ぐらい上げると、
ちょうどまっ正面に三階の部屋のベランダが見える。
その三階のベランダに、親子の猫が暮らしていた。

 それが、さくらママとぶち子である。

 ねずが、そのベランダと親子猫に気づいたのは、祠の裏で暮らしはじめてから
二週間以上が過ぎた頃だ。
それまでは、とにかく生きていくことだけで精一杯。
祠と茂みとゴミ捨て場と道路と、ねずを追っ払おうとする先住猫たちの動向以外、目に入らない。

つねに目線はすばやく前後左右、そして下。
とてものんびりと空など見上げている余裕など、なかったのである。

 その日は、どういう風の吹きまわしか、祠の中にお情けキャットフードが
山盛りになっていて、運のいいことにまっ先にねずがそれを見つけた。
他の猫たちが巡回してくる前に、
「大急ギデ、食ベラレル分ダケ食ベテオカネバ!」
この二週間で身につけた処世術でそこそこお腹を満たすことができたねずが、
茂みにもどって、口の端についたキャットフードのかけらを手でぬぐいながら、
ささやかな幸せにひたっていたとき、である。
ふと目線を上げた先の、ベランダのサッシ窓がするすると開いて、
なにか器のようなものをもった手が差し出されるのが見えた。

 カン、カン、カン!
その手は、持っていたお皿をベランダの柵にぶつけて、ちいさく音を鳴らす。

なにかの合図のようだ。
すると、どこからか、ベランダに二匹の猫が姿を現した。
 白っぽい大人猫と、ねずと同じぐらいの大きさの三毛の子猫。
ベランダの手の持ち主は、二匹を見てにっこりと笑い、手に持っていたお皿を
窓越しにベランダの床に置いた。
そのお皿の中身が、きっと食べものであること、それもゴミ捨て場の食べかすや
野ざらしのお情けキャットフードよりだんぜん上等な食べものであるだろうことぐらい、
ねずにだってかんたんに察しがつくというものだ。

 その日以来、ねずは、ベランダを観察しはじめた。
お皿をもった手が登場するのは、だいたい朝の七時頃と夕方の六時過ぎ。親子は、
朝ゴハンの後、しばらく姿が見えなくなり、夕方、日が陰った頃にベランダにもどってくる。
そして、ひと晩中、そのベランダを寝ぐらにして過ごす。
 昼間いなくなるのは、きっと、暑すぎるせいだ、とねずは思った。
南向きでひさしのないベランダは、日中いっぱい、八月の太陽にじりじりとあぶられている。

 晩ゴハンが終わると、そろそろ夏の一日が暮れはじめる。
夕陽に染まったベランダに、満ち足りて寝そべる親子のシルエットが浮かぶ。
 母ひとり、子ひとり。
日が落ちてすこしは過ごしやすくなったベランダで、ママの舌で顔や身体を
ぺろぺろと舐めてもらったり、二匹でいっしょにまるで子猫同士のようにじゃれあったり、
親子はあまりにも仲良しに見えた。

 ねずは、心底、うらやましかった。
ベランダには、ねずが無くしてしまったものが、全部あるような気がした。
おいしい食べものと、寄り添えるだれかと。安らかに眠れる夜と、守ってくれる手と。
ねずは、そのベランダへ行ってみたいと思った。
もしかすると自分も、親子の仲間に入れるかもしれない。
心のなかで、親子といっしょにベランダに寝そべる自分の姿をそっと思い描いてみる。
何度も何度も思い描くうちに、
ねずの心は、ベランダで親子といっしょに暮らしたいという思いでいっぱいになった。

 ねずは、もうすぐにでもベランダに上がっていきたいと思ったのだけれど、
それでも実際にはなかなか行動に移すことはできなかった。
ねずがそこへ上がっていけるだけの勇気を蓄えるのに、
それからまだたっぷり二週間は必要だったのだ。

         ~その3に、つづく~


コメント(7) 
共通テーマ:blog

コメント 7

yonta*

今みたいに寒い時期も大変だけど、
真夏の暑さの中で、ひとりぼっちのちびねこ・・
ねずちゃん、2週間もかけないで、早くベランダに上がっていきなよ!
大丈夫、とてもやさしい手が待っててくれてるよー、
って、教えたくなっちゃいますね。
by yonta* (2012-11-25 01:12) 

popoki

ねず、賢いぞ! よくぞ気がついた!!!
うわ〜、2週間先が気になります〜。
でもこの先も、まだまだ冒険が待っているんだろうなあ。
ワクワクするような、ドキドキ不安なような…。
早く、ひとりぼっちじゃなくなるといいなあ〜。
by popoki (2012-11-25 05:29) 

セーラ

ぼへ猫通信を読ませて頂きながら、いつも〔本当の優しさ〕―独りよがりではなく、何もかも受け入れつつ、大事で大変なことを続けて行かれる力―を受け止めています。
そこに、この愛情のこもった連載が始まり、私もこの祠の辺りで息を飲んでいる気がしています!

かつて我が家の庭に現れたちっちゃな女の子。
ヒトリは18年一緒に暮らし、ヒトリは何かの毒?に当たって1か月で行ってしまいました。
そんなことも思い出しながら、これからの物語を、待っていますね。
いつも本当にありがとうございます。
by セーラ (2012-11-26 02:44) 

hiro

こんばんは。
ねずちゃんの心境が良く分かるお話です。
がんばって生き延びていれば、いつかは報われます。
ねずちゃん頑張れ!
by hiro (2012-11-26 22:58) 

のの

(T▽T)うんうん;
泣けるなぁ・・・・・ねずちゃん・・・・
・・・・・・さ・・・その3へ♪
by のの (2012-12-01 14:53) 

マユリィ

ねずちゃん、頑張って、生き抜いてきたのですね~。
by マユリィ (2013-05-22 16:27) 

ミケシマ

ねずちゃん、もう少しだよ!
いまは勇気を蓄えているんだね…
ベランダに現れる手は、ねずちゃんに生きる気力を取り戻させたね。
by ミケシマ (2020-05-17 18:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

その3その1 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。