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第11章 ヒメの出産 ブログトップ

その54 [第11章 ヒメの出産]

 ご鎮守さんのうろは、経験のない若い母猫がはじめてお産を迎えるのにぴったりの場所に思えた。

境内の奥深くにあるためとても静かで、お寺の人でさえめったに通りがかることもない。
あたりには庭木が立ち並んでいて、身を隠しながら出入りできる。
うろは、入口は狭いけれどそこそこに奥行きがあり、
小ぶりな母猫が赤ちゃんを抱っこしてうずくまるのにちょうどいい広さかげん。
また入口が狭いぶん、奥が見えにくくなっていて、
ひっそりと子育てに専念するにはもってこいというわけだ。

 ねずに案内されてうろを見に行ったヒメは、ひと目でそこを気に入った。

「ここなら、そう・・・とてもいい環境に思えます。静かですし、雨も防げるし。
 なかは乾いた苔がいっぱいで、やわらかくて、あたたかそう。
 こんなに上等な赤ちゃんのベッドが見つかるなんて、ねずさん、ほんとうにありがとう」

・・・そう言ってヒメは、
コバルトブルーの瞳をきらきらと輝かせながら、ねずにとびっきりの笑顔を見せたのだ。

 その日から、ヒメはご鎮守さんのうろに住みつき、出産の準備に取りかかった。

ま、準備といっても、猫ですから。検診に行ったりマタニティ体操をしたりするかわりに、
まずはうろの周辺を念入りに嗅ぎまわって、他の猫がなわばりにしたがっていないかをチェックしたり、
近くにどんな餌場があるか、そこにはどんな猫が出没し、いちばん安全に食事ができるのは何時頃か・・・
といった生活のための基本情報を把握しておくことが最優先で、さらにいざというときのために、
赤ちゃんを連れてどこへ逃げるか緊急避難のルートも頭に描いておかねばならない。

そしておろそかにできないのは、お産に備えた丈夫な身体づくり。
お産まで、あと二週間あまり。このお寺にたどりつくまでしばらくのあいだ満足な食事が
できていなかったヒメは、境内や墓地のいろんなところにある餌場を周回して、
栄養補給に励まなければならなかった。

 そういった出産準備のあれやこれやに追われるなかで、ヒメがいちばん好きだった仕事。
それは、うろのなかの枯れ苔を前足でモミモミと踏んでやわらかくし、
赤ちゃんのベッドをもっとふんわりとさせる作業である。 苔にまざった枯葉やとがった小枝が
チクチクと産まれたばかりの赤ちゃんのやわらかな肌を痛めないように、
ヒメは自分の肉球でていねいに確認しながら踏みしめていく。
実際にヒメは、寝る間も惜しんで枯れ苔をかきわけ、気になる小枝を見つけだしては、
ひとつずつ前歯でくわえて、うろの外へ放り出したのだ。

一方でねずは、ヒメのことが気になってしかたがない。 自分の出産でもないのにドキドキ・ワクワク。
あと二週間もすれば、赤ちゃんが産まれてくるのだ!

・・・何匹だろう? 男の子、女の子?
みんなヒメみたいな美しい銀鼠色でコバルトブルーの瞳をもってるのかしらん?
それともヒメが恋をしたスコティッシュホールドとかいう猫みたい?
(ねずはスコティッシュホールドを見たことがなかったので、頭のなかではアイゾウさんを
水色に塗って毛を長くしたような姿を思い浮かべていましたが・・・)

 ねずとはナンの関係もない子猫ではあるのだけれど、こんなふうに親しくなったヒメの子供だもの。
ねずは、まるで姪っこや甥っこが産まれるような気分ではしゃいでしまっているのだ。そんなわけで、
ねずは、用もないのに境内をうろついて、一日に三度も四度もヒメの様子をのぞきに行った。

「ねえねえ、今朝は、お墓の猫鉢に、けっこうゴハンが残ってるよ」
「あのさ、ゆうべから見かけない茶トラのデカ猫がうろついてるから、気をつけたほうがいいと思う・・・」
「もうじき境内の入口のところでゴハンの時間だから、いっしょに行かない?」

 毎朝毎晩、うきうきとやってくる脳天気なねずの訪問は、はたから見るとちょっとご迷惑さま?
と思えるほどだったが、それでもヒメにとっては、大きな励みになっていた。

・・・こんなに親身になってくれる友だちもいる。しっかりやり遂げて、元気な子供を産まなくては・・・
ヒメはそう思って自分自身を奮い立たせ、けんめいに出産準備をすすめてはいるものの、
なんにも知らずにはじめて迎えるお産への不安は日を追うごとに大きくなり、
そのうえ胎児の成長がヒメの身体にじわじわと負担をかけはじめていた。

気持ちのなかでは元気をださねばと思っているのに、このところ、身体が思うようについてこないのだ。
すこし動くと息が上がって、すぐに疲れてしまう。空腹ではあるのだけれど、思うように食べられない。
身体がだるくて、起きているのも辛い。
・・・にもかかわらずお腹のなかで産声を上げた『命のカタマリたち』は、ときにごそごそと寝返りを打ち、
ときにお腹の内側をどすんと蹴りあげながら、母親であるヒメに生きる権利を主張した。

それはほんとうに愛おしく、すべてをかけて守りぬくべき分身なのだけれど、
ときおりヒメの心に得体の知れない恐怖感がうずまいて暗い影を落とした。
この子たちを世に送りだすとき、わたしは自分の身を引きかえにするのかもしれない・・・
ヒメの本能は、そんなことをひそかに感じ取っていたのである。

  ~その55に、つづく~


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その55 [第11章 ヒメの出産]

 ねずはねずで、このごろのヒメの様子が気がかりである。

うろに住みはじめた当初はとても元気で、ねずがのぞきに行くと幸せそうに赤ちゃんのベッドを
整えていたり、うろの周辺で起こった出来事などを楽しそうに話してくれたりしていたのだけれど、
四、五日前からなんだか急に元気がなくて、ねずがのぞき込んでもけだるそうに頭をもち上げるだけ。
誘ってもうろから出ようともしないし、ましてやいっしょにゴハンを食べに行こうともしない。

 出産の予定日まで、あと三日ほど。お腹はふくらんで大きくなっているけれど、
ヒメの身体は目に見えてやせはじめている。それなのに、「食べなきゃダメだよ」と
いくら言ってきかせても、ヒメは「大丈夫、あとで行くから」と返事をするだけで、
どの餌場にも姿を現さないのだ。

「このままじゃ」とねずは、強い口調で言った。今日こそ、ヒメを食事に連れていくのだ。
「このままじゃ、子供なんて産めないよ!そんなにやせちゃって!
  ヒメがそんなだと、お腹の子供だって、やせちゃうんだから・・・
  ダメだよ、食べなくちゃ。ね、ねずといっしょに、食べに行こうよ」

 その日もうろのベッドにうずくまっていたヒメは、だるそうに頭をもちあげて、
頼りないながらも、ねずに笑顔を見せた。

「ごめんなさいね、ねずさんに心配ばかりかけて。でも、ほんとうにありがとう。
 もうすぐ母親にならなきゃいけないのに、こんな状態じゃダメですよね。
 わたくしも今日はいくらか気分がいいようだし、お腹もとってもすいているの。
 だから、ねずさんといっしょに行くわね」

 そう言ってヒメは、ほんとうに久しぶりに立ち上がって、うろから地面に飛び降りた。
着地した足もとがグラリと揺れて倒れそうになったけれど、ヒメはどうにかバランスを取りなおし、
きゃしゃな四本の足でよろよろと立ち上がった。

 しばらくぶりに見たヒメの身体は、悲しいほどにやせてしまっている。
もともと細面の顔立ちが、頬がこけていっそう尖った感じに見え、胸のあたりの肉はそげ落ちて、
あばら骨がくっきりと透けている。
それなのにお腹だけが丸々とふくらんで、その姿はすこし異様にも見えた。

 「さぁ、行きましょうか」
 ヒメはねずをうながし、ふらつく足どりでお寺の境内の入口にある餌場へと向かった。

うろから境内の入口までは、ほんの三、四十メートル。
元気な猫なら、スタタのタッ、ぐらいで駆けつけられる距離である。
それをヒメはよろよろと、二、三分もかけて歩かなければならなかった。

ようやくたどりついた餌場の猫鉢には、まだそれなりの量のキャットフードが残っていた。
そして、周辺には、いつものごとく食べ散らかした粒々が散乱している。

「ヒメが先に食べなよ」
ねずは猫鉢の優先権をヒメに譲り、自分はあたりの粒々を拾い食いしはじめた。

 ヒメは「ありがとう」と言って猫鉢にすっぽりと顔を入れ、カリカリと食べはじめたが、
ものの一分もたたないうちにもう顔を上げてしまい、へなへなと座り込んだかと思うと、
せっかく食べた少量の粒々をげえげえと苦しそうに吐き戻してしまった。

「ねずさん、ごめんなさい」ヒメはすまなそうに言う。
「わたくし、なんだか、ぜんぜん食べられなくて。赤ちゃんのためにがんばらなくっちゃ、って
 思っているのですけれど、このごろほんとうに具合がよくなくて・・・」
そう言って、心細さと不安がないまぜになったような悲しい顔をしてねずを見やった。

 ねずはショックを受けていた。ねずは、ヒメは食べればきっと元気になると思っていたのだ。
そこそこ健康な猫なら、ちょっとばかり具合が悪くても、食べる気さえあればすぐに元気を取り戻せる。

それなのにヒメは、せっかく食べたものすら吐き戻してしまって、はぁはぁと肩で息をしながら
へたりこんでいる。 どうしてだろう・・・ねずだって泣きベソをかきたい気分だ。
このままでは、赤ちゃんなんて産めないかもしれない。

「誰カニ助ケヲ求メナイト・・・」
年若いヒメとねずのふたりっきりでは、もうどうしていいのかわからない。

弱りきったヒメをうろのベッドに寝かしたあと、ねずは、お寺の長い石段を降りることにした。
「誰かに相談しなきゃ」と思ったとき、心に浮かんだのは、
あの冷たい雪の夜ねずに凍りついた石段の昇り方を教えてくれた、金色の目のキン子さんだったから。

  ~その56に、つづく~


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その56 [第11章 ヒメの出産]

 ねずは境内の入口に立って、はじめて長い長い百八の石段をお寺の上から見下ろした。

おりしも夕暮れどき、西からの夕陽に照らされて、石段はきれいな茜色に染まっている。
あの雪の夜、まっ暗闇のなかで見上げた石段は果てのない高みへとつづいているように見えたけれど、
こうして見下ろした石段はそれほどにも長くはなく、いちばん下にある門がちいさく見えていた。

氷の張っていない石段を、しかも下へと向かう『降り道』は、昇り道にくらべるとはるかにらくちん。

それでもこの石段は一段ずつに高さがあるので、タタタタと走り降りるというわけにはいかず、
一段ずつぴょんぴょんと飛んで降りなければならない。ぴょんと飛び降りる下の足場は
凹凸のある固い石なので、ねずは爪や肉球を痛めないように、一段一段、慎重に降りていった。

 石段を見下ろしていたときにはまだ顔をのぞかせていた夕陽も、ねずがようやく降りきって
お寺の門までたどりついたころにはすっかり沈んで、あたりは薄闇につつまれている。
ねずは、太い門柱の脇で身体を休めた。
ほっ、ほっ、ほっ。ねずは息を吐いてみる。もう三月も半ば過ぎだというのに、
この日は冷え込んでいて、息がほんのりと白く凍った。

 すこし休んだあと、ねずは二本の太い門柱のあたりをぐるぐると回り、あの夜見つけた猫鉢が
ないかどうか探したが、どうやらこの場所でゴハンがふるまわれる時間はもっと遅いらしい。
ゴハンの時間になれば、ここらあたりの猫は遅かれ早かれ姿を現すはずだし、キン子さんだって、
絶対にやってくる・・・ねずはそう思った。(ねずちゃん、たまには考えるんじゃん)
それなら、どこにいるのかわからないキン子さんをあちこち探し回るより、
このあたりにひそんでキン子さんが現れるのを待つほうが賢明でしょ? (ピンポ~ン、大正解です!)
というわけで、ねずは門の脇の植え込みの陰に入り込んで、時を待つことにした。
 『時ヲ待ツ』・・・それは猫語で、ぐーすか眠るという意味だけど、ね。

「アンタ、あいかわらず脳天気な子だね」
ぐっすり眠りこんでいたねずの頭の上で、聞き覚えのある声がした。
はっと頭をもちあげると、目の前の暗がりに金色の粒々がふたつ、ピカリピカリと光っていた。

「あっ、キン子さん!」ねずは跳び起きた。 どうやら眠りこけているうちにゴハンの時間になり、
それにも気づかず寝ているうちにとっかえひっかえ猫たちがやって来ては食事を終え、
いちばん最後にキン子さんが現れて残り物のキャットフードを平らげて
植え込みのねずに気づいて声をかけるまで、まるっきり目を覚まさなかったらしい。
いくら降り道はらくちんだからって、百八も石段を降りればそれなりに疲れるのだ。
 ・・・でも、ま、いっか。
ねずの目的は、ゴハンをいただくことではなく、キン子さんに相談することだったわけだし。
ねずは食べそこねたキャットフードがちょびっと残念ではあったけれど、
さっそくキン子さんにヒメの話をすることにした。

「赤ちゃんが生まれる子がいるの!」とねずは言う。
「でも、食べないの!やせちゃってるの!ぐったりしてるの!このままじゃ、死んじゃいそうなの!」

 あいかわらず、ねずの話は要領が悪い。それでもキン子さんは、ひとりよがりなねずの話を
ていねいに聞き、ときおり質問をまぜながら断片をつなぎあわせ、おおむね理解してくれた。

「ははん、アンタが言ってるのは」キン子さんは言った。
「最近ここらあたりに捨てられた、ロシアンブルーもどきのことだね?」

「そう、その子!ヒメっていうの」
「あたしが出会ったときには、もう産み日まで三週間足らずってところだったから、
 そろそろ産まれそうなんじゃないのかい?」
「うん、たぶん、あと三日ぐらい・・・」
「その三日っていうのは、アテにならないね。はじめてのお産のときは、
 あんがい早めに産まれることも多いもんサ」

「へえぇ」とねずは思った。それなら、早く戻ってあげなくちゃ。
「でも、もしかするとダメかもしれないねぇ」キン子さんはちょっと残念そうに言った。
「ここまで来れば、子供は産まれてくるかもしれないけど、そのヒメって子はもたないよ」

「・・・もたない、って・・・どういう意味ですか?」ねずは、思わず声がふるえた。
もたないって、それは、ヒメが死んでしまうということなのだろうか?

「あの子はね、病気もちだろ。『猫白血病』のキャリア。そんなこと、言ってなかったかい?」

そういえば、とねずは思った。偽の血統書をつけて売りさばかれる前、
しばらくのあいだ閉じこめられていた猫部屋でウィルスがうつった・・・ヒメはたしか、そう言っていた。

「ここらあたりにやって来たときはまだキャリアの段階で、病気の症状はでてないようだったけど、
 あたしにはわかったね。それでお腹に子供ができたんじゃ、身体にたいそうな負担がかかっちまうよ。
 あんまり丈夫そうでもなかったし。ここにきて食べられなくなって、
 どんどんやせちまってるっていうのは、いよいよ病気が発症したからだよ。猫白血病は、怖い病気さ。
 いざ発症すると進行が早いんだ。そうとう頑丈な猫だって二、三カ月しかもたないっていうのに、
 やせっぽちでお産もするんじゃ、産み落とすと同時に命を落とすことだって覚悟しなきゃ」

 ねずは言葉を失った。・・・ヒメが死んでしまうかもしれない。
せっかく赤ちゃんが産まれるのに。あんなに楽しみにしてたのに。
それに、ヒメがほんとうに死んでしまったら、産まれた赤ちゃんはどうなるんだろう。

  ~その57に、つづく~


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その57 [第11章 ヒメの出産]

「ま、ここまで来たら、母猫は命を落としても子供を産むしか道はないし、
 産んですぐに母猫が死んでしまえば、かわいそうだけど子猫たちもおしまいだよ。 いくらアンタが
 めぇめぇ泣いたって、アンタに育てられるわけじゃなし、どうにもならないことなのサ。
 これが野っぱらに生きる猫たちの宿命ってやつだね」
 ・・・キン子さんはそう言ってねずを見やり、ふと思いついたように聞いた。「そういえばあの子には、
 墓地で寝ぐらを見つけなって言っといたんだけど、一体どこを寝ぐらにしてるんだい?」

「あの、境内の大きな樹のうろだけど」

「あっ、バカだねぇ。あのうろを選んじまったのかい!」キン子さんは血相を変えた。
「あれは『ご鎮守さん』って呼ばれていて、この山の守り木さまなんだよ。で、このあたりの人間は
 一年に何回か、あの樹のまわりにわさわさと集まって、なにやら拝んだり祈ったりするんだ。
 そうなったら、うろのなかにいる猫なんてつまみだされちまう。
 だから、あんなに条件のいい寝ぐらなのに、誰も長くは住みつけないのさ。
 今年もそろそろ『お彼岸』とやらで、今朝にも準備がはじまる頃だよ。
 そうなったら、境内じゃダメだ。アンタ、あの子の面倒を見てやるつもりなら、
 早く帰って、墓地に引っ越すように言ってやんな」

 キン子さんの言葉をおしまいまでも聞かずに、ねずは弾かれたようにスタートを切った。
早く帰って、ヒメのために、どこか別の場所を見つけないと!
また百八の石段を、こんどはぴょんぴょんとジャンプしながら昇っていく。
降り道にくらべると昇りの道は、身体のちいさいねずにとってちょっとばかり骨の折れる道のり
だったけれど、ヒメを思う気持ちに背中を押されて、ねずはぐんぐんと昇っていった。

「困ったことになったら、また、あたしに相談しなよー」
遠ざかったふもとのほうから、キン子さんの声がねずの耳にちいさくちいさくちいさく届いた。


 ねずが息つくヒマもなく石段を昇って、ようやく境内にたどりついたのは、もう夜明け前だった。
朝の五時をすこし過ぎたところらしく、
ねずと入れ違うように、小僧さんがお寺の門を開けに石段を降りていく。
ねずは、植え込みに身を隠して小僧さんをやり過ごすと、ダッシュでご鎮守さんのうろに向かった。

「ヒメ、たいへん!」ねずは叫ぶ。「この寝ぐら、引っ越さないと!」

 ねずがのぞくと、ヒメはうろのなかで丸くなっていたが、眠っている様子ではない。
かすかに身体をふるわせ、ちいさなうめき声をたてている。

「ヒメ、ヒメ、ヒメ!」ねずは驚いてヒメの名前を何度も呼びながら、
うろの入口から頭をつっこんで、ふるえているヒメの身体をペロペロとなめた。
ヒメが死んじゃう!ねずは動揺していた。赤ちゃんも産めずに、ヒメが死んじゃう!

 ようやくヒメが頭を上げた。
「ねずさん・・・」弱々しい声でヒメは言う。「なんだか赤ちゃんが産まれそうなの」

 キン子さんの言っていたとおり、ヒメは三日も早くに産気づいてしまったのだ。
陣痛がはじまり、その痛みが、彼女の病んだ身体をさらに傷めつけていた。

ヒメが返事をしたことで、ねずは心の底からほっとした。
ほんとうにこのまま死んでしまうんじゃないかと思ったのだ。それでもまだまだ安心してはいられない。

夜が明ける前、まだあたりが暗いうちに、墓地のほうへ引っ越してしまわなければならないのだ。

「ヒメ、聞いて。このうろは、もう安全な隠れ家じゃなくなっちゃうの。いますぐ引っ越さないと。
お墓のところまで行って、新しい寝ぐらを探そうよ。人間たちが集まってくる前に、早く!」

ねずはそう言いながら、ヒメの首のうしろをくわえて、ぐいぐいと引っ張った。
ヒメも陣痛の苦しみに耐えながら、はうように手足を動かした。
なかば引きずり下ろされるように地面に落ちたヒメは、それでもよろよろと立ち上がり、
ありったけの力をふりしぼってねずといっしょに歩きはじめた。

 墓地まで、もうたどりつけないんじゃないかと思うほど長い時間をかけて、ふたりは進んだ。
ヒメは陣痛がくると座りこんでその痛みに耐え、痛みが引いているあいだに歩いたが、
墓地が近づくにつれて、次の痛みがやってくるまでの間隔が短くなっている。

・・・スグニ、産マレル・・・ヒメは、身体のなかで起こっている変化をはっきりと感じ取っていた。
早クシナイト!

ようやく墓地の入口の階段を昇りきって、観音さまの石像の前にたどりついたとき、
ヒメはあえぎながら言った。 「ねずさん、ほんとうに、もう産まれそうです」

 ねずはあわてた。とりあえず墓地まで来たものの、
ヒメが出産して子育てできそうな場所のアテなどぜんぜんなかったのだ。

しかたなくねずは、いちばん手近で、まぁまぁの場所にヒメを連れていくことにした。
それはねずが当座の寝ぐらにしていた、お参りに来る人もなく寂れた墓石の裏側の、
吹き寄せられた落ち葉だまりである。 そこは屋根もなく、上からのぞかれれば丸見えだし、
おまけに雨が降ればさえぎるものもなくずぶぬれになってしまうような場所だったが、
幸いなことにここ数日はいいお天気つづき。吹きだまった落ち葉もここちよく乾いていて、
すこしのあいだなら身体を休めていられそうである。とりあえずヒメをそこに寝かして、
そのあいだにねずがもっと子育てにふさわしい寝ぐらを見つけに行けばいいのだ。

「とりあえず、ここで待ってて」ねずは言った。「ねずが、もっといい場所、見つけてくるから」

ヒメは、落ち葉だまりのうえによろよろと倒れ込み、そのまま丸まって、身体をふるわせながら
低くうめいている。ねずは、このままヒメを放っておいていいのかすこし迷ったけれど、
それよりももっといい寝ぐらを確保するほうが重要であると判断し、
ヒメの尻っぽを励ますようにひと舐めすると、墓地の奥へと消えていった。

  ~その58に、つづく~


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その58 [第11章 ヒメの出産]

 ねずがいなくなると、ヒメはすぐにひとり目の子供を産んだ。

産み落とす直前、お腹のなかから突き動かされるような衝撃と鈍い痛みが走ったが、
そのあと赤ちゃんはするすると滑るように産道をとおって、羊膜に包まれたカタマリのまま、つるんと
枯れ葉のベッドのうえに生まれ落ちたのだ。

 ヒメはほっと息をつき、はじめてのわが子を抱き寄せた。・・・愛おしい子、わたしの分身。

ヒメはまず、つながったままのへその緒を歯で食いちぎり、赤ちゃんの身体をすっぽりとおおっている
羊膜を頭のほうからていねいに舐めはがした。
さらに血と羊水にまみれた赤ちゃんの鼻と口を舐めてきれいにする。
赤ちゃんが自分で呼吸できるようにしてやるのだ。

母猫のざらつく舌の刺激を受けて、赤ちゃんはちいさく口を開け、ニィニィと元気な産声を上げた。
お産のことなどなにひとつ教わってはいないけれど、ヒメの本能は、
赤ちゃんのためになにをしてやらねばならないかを、ちゃんと知っている。

 しばらくして、もうひとり。・・・そして、もうひとり。

ヒメは小一時間のうちに、次々と三匹の子供を産んだ。
まだ目も開かず、耳もふさがり、歩くこともおぼつかないちいさな三つのカタマリでしかなかったが、
枯葉のベッドのうえで細い手足をバタつかせ、ひとりひとりが自分の力でヒメのお腹を探り、
乳首を見つけてむしゃぶりついた。
ちいさな口で乳首に吸いつかれると、くすぐったいような満足感がヒメの全身をふるわせる。
そして、ちゅうちゅうと吸いつくそのちいさな口に、驚くばかりの強い生命力を感じながら、
ヒメは疲れきった身体を横たえてしばしの眠りに落ちていった。

 「!!!」

 ようやくヒメが赤ちゃんを産むのに、いまの落ち葉だまりよりすこしはマシと思える場所を
見つけて戻ってきたねずは、墓石の裏をのぞいてびっくり仰天である。

満足そうな表情で横たわり、やすらかに眠っているヒメのお腹のまわりに、
ちいさなちいさな三つのカタマリ。 みんな丸まってくっつき合っているので、
まるで毛の生えた大きなおだんご(!)のように見えるけれど、よく見ると三つのお腹が
やわらかく波打っていて、しっかりと呼吸しているのがわかる。

 疲れて眠りこんでいるヒメを起こさないように、ねずはそっとのぞきこんで赤ちゃんを見た。
鼻を近づけてクンクンと嗅ぐと、あたりに残った血や羊水の生臭いニオイに混ざりあって、
赤ちゃんの身体からほの甘い香りがただよってくる。それはヒメの乳首からあふれでた母乳のニオイだ。

 ヒメの三匹の子供たちはめいめいに違った色合いだった。
産まれたばかりなので、みんなまだふわふわのやわらかな産毛に包まれているけれど、
もうそれぞれの毛色がはっきりと見て取れる。 ひときわ目をひくのは、
シルバーグレーに淡い縞模様の描かれた、いかにも外国産の血を受け継いだらしいきれいな仔。

・・・これが、例のスコティッシュホールドってヤツかしらん? ねずは思った。

そして、もうひとりは、まっ黒な仔。
細かな部分はよく見えないが、顔にもお腹にも白い部分がなく、全身がまっ黒の子猫らしい。

最後に、おだんごのまん中にぽっちりと見える、ヒメとおんなじ銀鼠色!
ほかの仔より身体がちいさいうえに、兄妹たちのまん中に抱きかかえられるように丸まっているので、
そこにもう一匹いるんだかどうだかよくわからないのだけれど、
ようく見るとハツカネズミみたいなピンク色のちいさな鼻がピクピクと動いている。

「ヒメそっくり!」そう思って、ねずは幸せな気分になった。
ねずは心のなかでずっと、ヒメの赤ちゃんが美しいヒメとそっくりだといいな、と思っていたのだ。

そのとき、ヒメがふと目を覚ました。お腹のまわりに子供たちが三匹、ちゃんといるかどうかを
すばやく確認すると、ねずがいるのに気づいて顔をあげた。

 誇らしげな、母の顔。
コバルトブルーの瞳は強く輝いていて、産む前よりも元気になったように見える。

ヒメが身じろぎすると、子供たちが一斉に目を覚ました。
おだんごがほぐれて三つのカタマリになり、十二本のちいさな手足がパタパタと動く。
三つのカタマリは、しばらくゴチャゴチャとからまりあっていたが、
やがてめいめいの乳首を探りあてると熱心にしゃぶりついた。

「子供、生まれたんだね」
「ええ、どうにかやり遂げられたみたい」
「ヒメは、大丈夫?」
「わたくしは大丈夫。この子たちを、守らなければ」そう言ってヒメは、
 愛おしそうに子供たちを舐めた。

「もうちょっとマシな寝ぐらを見つけたんだけど」ねずは言った。
「そんなに遠くないし、そこなら屋根もあるよ」

「ありがとう」とヒメは微笑んだが、いまはまだ動けそうにもない。
「ありがとう、でもお引っ越しは、まだ無理だと思うのですよ」

「そうだね、いまはまだ動いちゃダメ。ヒメも子供たちも、ゆっくり眠らなくちゃ」
しばらくの間ちゅうちゅうとお乳を吸っていた子猫たちも、またおだんごに戻って
ヒメの腕のなかで眠ってしまっている。ヒメは子供たちを抱きかかえるように丸まり直し、
すこし疲れたように頭を横たえると、そのままスヤスヤと寝息をたてはじめた。

 やわらかな早春の午後の陽ざしに包まれて、四匹の親子は、ぎゅぎゅっと身体をひとつに寄せあって
やすらかに眠っている。ねずは、ぬくぬくとしたその光景を、いつまでもいつまでも眺めていた。

  ~第12章に、つづく~


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