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その56 [第11章 ヒメの出産]

 ねずは境内の入口に立って、はじめて長い長い百八の石段をお寺の上から見下ろした。

おりしも夕暮れどき、西からの夕陽に照らされて、石段はきれいな茜色に染まっている。
あの雪の夜、まっ暗闇のなかで見上げた石段は果てのない高みへとつづいているように見えたけれど、
こうして見下ろした石段はそれほどにも長くはなく、いちばん下にある門がちいさく見えていた。

氷の張っていない石段を、しかも下へと向かう『降り道』は、昇り道にくらべるとはるかにらくちん。

それでもこの石段は一段ずつに高さがあるので、タタタタと走り降りるというわけにはいかず、
一段ずつぴょんぴょんと飛んで降りなければならない。ぴょんと飛び降りる下の足場は
凹凸のある固い石なので、ねずは爪や肉球を痛めないように、一段一段、慎重に降りていった。

 石段を見下ろしていたときにはまだ顔をのぞかせていた夕陽も、ねずがようやく降りきって
お寺の門までたどりついたころにはすっかり沈んで、あたりは薄闇につつまれている。
ねずは、太い門柱の脇で身体を休めた。
ほっ、ほっ、ほっ。ねずは息を吐いてみる。もう三月も半ば過ぎだというのに、
この日は冷え込んでいて、息がほんのりと白く凍った。

 すこし休んだあと、ねずは二本の太い門柱のあたりをぐるぐると回り、あの夜見つけた猫鉢が
ないかどうか探したが、どうやらこの場所でゴハンがふるまわれる時間はもっと遅いらしい。
ゴハンの時間になれば、ここらあたりの猫は遅かれ早かれ姿を現すはずだし、キン子さんだって、
絶対にやってくる・・・ねずはそう思った。(ねずちゃん、たまには考えるんじゃん)
それなら、どこにいるのかわからないキン子さんをあちこち探し回るより、
このあたりにひそんでキン子さんが現れるのを待つほうが賢明でしょ? (ピンポ~ン、大正解です!)
というわけで、ねずは門の脇の植え込みの陰に入り込んで、時を待つことにした。
 『時ヲ待ツ』・・・それは猫語で、ぐーすか眠るという意味だけど、ね。

「アンタ、あいかわらず脳天気な子だね」
ぐっすり眠りこんでいたねずの頭の上で、聞き覚えのある声がした。
はっと頭をもちあげると、目の前の暗がりに金色の粒々がふたつ、ピカリピカリと光っていた。

「あっ、キン子さん!」ねずは跳び起きた。 どうやら眠りこけているうちにゴハンの時間になり、
それにも気づかず寝ているうちにとっかえひっかえ猫たちがやって来ては食事を終え、
いちばん最後にキン子さんが現れて残り物のキャットフードを平らげて
植え込みのねずに気づいて声をかけるまで、まるっきり目を覚まさなかったらしい。
いくら降り道はらくちんだからって、百八も石段を降りればそれなりに疲れるのだ。
 ・・・でも、ま、いっか。
ねずの目的は、ゴハンをいただくことではなく、キン子さんに相談することだったわけだし。
ねずは食べそこねたキャットフードがちょびっと残念ではあったけれど、
さっそくキン子さんにヒメの話をすることにした。

「赤ちゃんが生まれる子がいるの!」とねずは言う。
「でも、食べないの!やせちゃってるの!ぐったりしてるの!このままじゃ、死んじゃいそうなの!」

 あいかわらず、ねずの話は要領が悪い。それでもキン子さんは、ひとりよがりなねずの話を
ていねいに聞き、ときおり質問をまぜながら断片をつなぎあわせ、おおむね理解してくれた。

「ははん、アンタが言ってるのは」キン子さんは言った。
「最近ここらあたりに捨てられた、ロシアンブルーもどきのことだね?」

「そう、その子!ヒメっていうの」
「あたしが出会ったときには、もう産み日まで三週間足らずってところだったから、
 そろそろ産まれそうなんじゃないのかい?」
「うん、たぶん、あと三日ぐらい・・・」
「その三日っていうのは、アテにならないね。はじめてのお産のときは、
 あんがい早めに産まれることも多いもんサ」

「へえぇ」とねずは思った。それなら、早く戻ってあげなくちゃ。
「でも、もしかするとダメかもしれないねぇ」キン子さんはちょっと残念そうに言った。
「ここまで来れば、子供は産まれてくるかもしれないけど、そのヒメって子はもたないよ」

「・・・もたない、って・・・どういう意味ですか?」ねずは、思わず声がふるえた。
もたないって、それは、ヒメが死んでしまうということなのだろうか?

「あの子はね、病気もちだろ。『猫白血病』のキャリア。そんなこと、言ってなかったかい?」

そういえば、とねずは思った。偽の血統書をつけて売りさばかれる前、
しばらくのあいだ閉じこめられていた猫部屋でウィルスがうつった・・・ヒメはたしか、そう言っていた。

「ここらあたりにやって来たときはまだキャリアの段階で、病気の症状はでてないようだったけど、
 あたしにはわかったね。それでお腹に子供ができたんじゃ、身体にたいそうな負担がかかっちまうよ。
 あんまり丈夫そうでもなかったし。ここにきて食べられなくなって、
 どんどんやせちまってるっていうのは、いよいよ病気が発症したからだよ。猫白血病は、怖い病気さ。
 いざ発症すると進行が早いんだ。そうとう頑丈な猫だって二、三カ月しかもたないっていうのに、
 やせっぽちでお産もするんじゃ、産み落とすと同時に命を落とすことだって覚悟しなきゃ」

 ねずは言葉を失った。・・・ヒメが死んでしまうかもしれない。
せっかく赤ちゃんが産まれるのに。あんなに楽しみにしてたのに。
それに、ヒメがほんとうに死んでしまったら、産まれた赤ちゃんはどうなるんだろう。

  ~その57に、つづく~


コメント(2) 
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コメント 2

ChatBleu

うわーん、かわいそうな結末が見えてきて悲しいですぅ。
ヒメちゃん、心配ーー!
by ChatBleu (2013-11-30 13:12) 

かずあき

こんばんわ
悲劇に向かってまっしぐらですね。

ニャンはおかげさまで。
by かずあき (2013-11-30 18:06) 

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