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その18 [第5章 公園ゴハン]

 十二月に入ると、朝晩の気温がぐんと下がりはじめる。
凍てつく冬は、野っぱらで暮らす猫たちにとって、どこかしら暖かく眠れる場所を確保することに
気をまわさなければならない、やっかいな季節だ。

でも、ご心配なく。ベランダのふたり組に、そんな努力は必要ナスビ。
なんてったってベランダには猫箱があるし、いまや箱のなかにはふわふわでぬくぬくの
シャギーなクッションが敷かれているのだ。このちょっと上等そうなクッションは、
ねずとぶち子が『タマ取りの試練』から帰ってきた日に用意されていた。

そう、ふたりとも『つるつるのお腹』に『五センチの縫い目』をつけて戻ってきたあの日から。

 あの日のことを、ねずは、あんまり覚えていない。
往生際の悪い山猫ぶち子がキャリーケースに納まって、川嶋さんが帰っていったあと、
ふたりはしばらく診察室の片隅に置き去りにされていた。

その間は、不安と恐怖でただただ震えていたのだけれど、夕方になってケースから出されて、
『マスイ』とかいう注射を打たれてからの記憶はまったくない。
気がついたのは翌朝で、またケースのなかに寝かされていた。
ただし、お腹のまっ白な毛はつるつるに剃られていて、下腹部のあたりに縫い目がついている。
縫い目の部分はベッタリと赤茶色に染まっていて、消毒液の強いニオイが鼻をつく。
痛みは感じなかったが、グロテスクで怖かった。

ぶち子も右横のキャリーケースのなかで目を覚ましていたが、怯えているのか、むくれているのか、
ねずの方を見ようともしない。ねずにしたって、なんだか身体が重くてだるいし、
何かを考えたり話をしたりする気分じゃなかったので、ぶち子の方を見ないようにしていた。

 そうこうするうちにお迎えがきて、こんどはキャリーケースのまま、またゆさゆさと運ばれた。
着いた先はいつものベランダで、キャリーケースが開けられると、ねずは大あわてで飛び出し、
一目散に猫箱に逃げ込んだのだ。
猫箱にもう扉はなく、かわりにシャギーなクッションがあった。

ねずはちょっと不安で、見慣れないクッションを前足で触りながら注意深く匂いを嗅いでみたが、
べつにヤバそうな気配はない。新品らしいクッションのポリエステルの匂いにまじって、
ほんのりと窓の人の匂いがした。

 用心深いぶち子は、キャリーケースを出されると、まずベランダから逃げ出した。
どこへ?うーん、たぶん、隣のマンションの床下の、通風口の穴のなかへ。
もしくは、裏庭の茂みのどこかへ。
そして三時間ほど気持ちを静め、「もう、ホントに大丈夫そうである」というぶち子なりの決断を
下したあと、おそるおそるベランダに戻ってきて、猫箱のねずの隣にもぐずり込んだ。
 そういう子なのだ、ぶち子って猫は。

 「ぶっちゃん、このクッション、あったかいね」帰ってきたぶち子に、ねずは言った。
「それに、このふわふわの毛!ね、ね、これって、ママに抱っこされてるみたい?」

 「ぜんぜん違う」ぶち子はふくれっ面だ。そして、ねずに当たり散らす。
「あんた、ママ、いないくせに!ママの抱っこなんか、知らないくせに!ママの抱っこは、
こんなクッションみたいじゃなくて、もっとずっとあったかいんだから!
もっとすっごく柔らかいんだから!もっとぜんぜん安心なんだから!」

ぶち子は言いたいだけ言うと、クッションに顔をうずめたまま、もう顔を上げようとしなかった。
もしかすると、ぶち子は泣いていたのかもしれない。

 ・・・結局、今日、クッションがあってよかった。ねずはそう思った。
ぶち子は「違う」と言ったけれど、このやわらかな毛足に包まれていると、不思議に心が
まあるくなった。まるで生まれたばかりの子猫が、ママの懐に抱かれているみたいに。

~その19に、つづく~


コメント(6) 
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コメント 6

こいちゃん

窓の人が用意したクッションが、嬉しかったね。ねずちゃんもぶち子さんもね。傷は残ったけれど、それはもうこの先何の心配もない証拠だからね。
前記事、病院でのぶち子さんはすごかったのですねぇ・・コワイ
by こいちゃん (2013-03-09 13:43) 

ChatBleu

遅ればせながらベランダっ子達のお話、一気に読ませていただきました。
人間の勝手な都合だけど、人間なりに猫の幸せを考えてのことなんですよね。
ねずちゃんもぶち子ちゃんも、わかってくれる・・・よね。
by ChatBleu (2013-03-09 14:00) 

yonta*

ふたりとも疲れたね、がんばったね、おかえりなさい。
ねずちゃんにとって、窓の人の匂いがするクッションは、
心も体も包んでくれるママの抱っこ、だよね(^^)
by yonta* (2013-03-09 17:08) 

みいみ

おうちがイチバン.ご褒美よかったね.
by みいみ (2013-03-10 11:48) 

tenten

ふわふわはママを思い出してふみふみしたくなるものね。
by tenten (2013-03-10 15:52) 

ミケシマ

ああ… 怖かった、怖かったねぇ( ノД`)゜゜
窓の人、優しいねぇ。。
お腹が寒くなるだろうから、ふかふかのクッションを用意していてくれた…。
ねずちゃんに当たり散らしたぶち子…
ちょっと涙が出ました…
by ミケシマ (2020-06-03 00:04) 

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