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その10 [第3章 エロの季節]

 ねずが振り向くと、このゴミ捨て場でよく見かける年上の三毛猫がいた
みんなから『ミケねえさん』と呼ばれている、ここいらではちょっとした顔役猫だ。

「この小娘はね、さくらがベランダに上げてやった、例の捨てられチビだよ。
 いきなり放り出されて、この暑いのにまぁガンバったほうじゃないかねぇ。最後には
 とうとう音をあげて、結局、さくらのベランダに上げてもらって、
 いまじゃそこで人間がかりになってるようだけど、
 それでもさくらの威嚇にひるまずに自分でよじ登ったって言うじゃないか。
 さくらの甘ったれ娘よりは、ちょっとは骨があるってもんさ。
 で、あんた、なんて名前になったんだい?」

「ねず、です」

「あ~、あんた、色も体つきも、子ネズミっぽいからねぇ。
 でも、白線、とか呼ばれるよりはマシじゃないかね」

「へぇー、あそこのベランダ娘、ね」ゴンは、ベランダの方角にチラッと流し目をしてみせる。

 ねずの話は、もう、ご近所猫の情報網に知れわたっているらしい。
新参者だって、ふた月もすれば、ここいらの猫として受け入れてもらえるのだ。

「では、キラキラがうらやましいねずちゃまに、ゴンさまの武勇伝を聞かせてやろうじゃないか」
ゴンは、ねずをじろりとにらみつけた。
「このキラキラは、だ」と、もったいぶって言う。「これは、『タマとり済み』のしるしだ」

『たま・とり・ずみ』・・・またしてもねずには、聞いたことのない言葉だった。
一体、タマって何だ?しかもトリ??それでもって、ズミ???
なにか、トリとネズミの合いの子のようなものだろうか?
ねずがぽかんとしていると、ミケねえさんが笑った。

「ホホホホ、ゴンちゃん、それじゃ分からないわよ。だって、この子、女の子だもん」

「ああ、そうだな。タマっていうのは、ほれ、男のシンボルだ。それは分かるな?」
ねずは、うなずいた。そのぐらい知ってる。
「それを、こう、スパッと、切り取られてるってワケよ。
オレさまが、これ以上、おまえみたいなウブな小娘に子供をはらませたりしないように、ってな」

 ねずは、びっくりした。タマをスパッと、って、そりゃまた、どーして?

「どうしてかって?そりゃ、こっちが聞きたいね。それが人間さまのご都合だから、さ。
 世の中に、ノラ猫が増えると困るんだとよ」

「そういう目に遭うのは、男だけじゃないんだよ」ミケねえさんがつづける。
「あたしだって、もちろん『しるし』を持ってるさ」ミケねえさんは、左の耳をピクピク動かした。

よーく見ないと分からないが、
ミケねえさんの左耳には、先っぽのところにちいさな切り込みがあった。

「ここいらあたりは、人間たちの管理が行き届いているからね。
 ほとんど、みんな、しるしを持ってるんだ」

ねずは、またまた、びっくりした。
女のミケねえさんは、なにをスパッと切り取られたのだろう?

「ははん、女はね、お腹のなかのタマならぬ『タマゴ』を取るのさ。
 獣医は卵巣って言ってたけどね。だから、ゴンちゃんたち男の『タマとり』なんかより、
 よっぽど大変なんだよ。気がついたら、お腹の毛をつるつるに剃られていて、
 五センチばっかり縫い目がついててね。そんな傷は十日もすれば治っちまったけど、
 あたしはそんな話、誰からも教わってなかったからね。ちょっとショックも受けたよねぇ・・・」

ミケねえさんは、昔を思い出すようにしみじみと言った。

「まぁ、そのおかげで、ウルサイ男どもに追いまわされなくなるし、
 命がけで子供を産んだり育てたりしなくて済むようになったから、いまとなってみれば、
 あながち悪いことでもなかったかもしれないけどね」

 ねずは、もう、口あんぐりだ。ねずの、このやわらかなお腹。
いまはカスタードクリームがいっぱいつまっている、このぷっくりと幸せなお腹が、
まっ白い毛もつるつるに剃られて、おまけに五センチの縫い目、だって?

「ふっふっふっ」震え上がっているねずを見て、ゴンは嗤った。
「怖いか?そりゃ、怖いよな。でも、鈴付きじゃなくなったおまえの身にも、じきに、やってくるぞ。
 それがイヤなら、絶対に、人間どもに捕まるな。
 もし、おまえに、そんな知恵や根性があるなら、の話だけどな」

「ねずは捕まらないもん!」ねずは叫んだ。なにがなんでも捕まってなるものか。

「HA!」ゴンは、またバカにしたように鼻を鳴らした。
「野っぱらに出てきたばっかりの、鈴付きあがりのお嬢ちゃまが。
 HA!カスタードクリームにつられて、ビニールまで食っちまいそうな小娘が。
 HA!ベランダでぬくぬくと人間がかりのぬるま湯暮らしをしているくせに、
 このゴンさまさえも捕まえた人間に、捕まらないもん、とはね!」

ゴンは、あきれたように首をふった。そして、「ま、お手並み拝見といこうじゃないか」
と言い残して、どこへともなく、ぶらりと去っていった。

「ゴンちゃんの言うとおり」と、ミケねえさんが言った。
「ほんとうに、そろそろだよ。秋は、繁殖の季節だもの。
 気取って『恋の季節』なんて言うヤツもいるけど、あたしに言わせれば『エロの季節』だね。
 まだタマありの現役の男どもは、どいつもこいつも目を血走らせて、女の尻を追いまわすんだ。
 女だって、おんなじさ。男を求めて、心が狂うんだ。
 オワァ~、オワァ~って、とんでもない鳴き声をあげて、男の気をアオるんだよ。
 まぁ、あたしも現役の女だった頃はそうだったし、あんたも生まれて六ヶ月も過ぎれば、
 いっぱしの女になる。・・・産めよ、増やせよ。あたしたち動物のDNAには、
 そういう本能が刷り込まれているんだ。こればっかりは、自然の摂理なんだよ」

「でも、人間たちにとって、それは不都合なことなのさ」ミケねえさんは、つづける。
「あたしたちは、いっぺんに三匹も四匹も子供を産むし、秋と春、一年に二回も
 エロの季節がやってくる。もちろん産まれた全部の子猫が無事に育つはずもないけど、
 それでも放っておけば、ネズミ算ならぬ猫算になっちゃう。
 で、人間たちは、ノラ猫がこれ以上増えないようにしよう、って作戦をたてたってワケさ」

 それが『タマとり済み』であり、そのしるしとしてゴンの耳につけられた
緑のキラキラの意味なのだった。

ねずは、すっかり気持ちが沈んでしまった。
もう、空袋にくっついたカスタードクリームなど、どうでもいい。
むしろ、口の中に残ったそのねっとりと甘美な味が、『タマとり』のための罠のように
感じられて不快だった。

 「ねずちゃぁ~ん」ねずを呼ぶ、ぶち子の鳴き声がベランダから聞こえてきた。

あたりは、そろそろ夕暮れ時。もうすぐ、ゴハンの時間なのだ。
ねずは、とぼとぼと家路についた。ミケねえさんの最後の言葉が、しこりのように胸にのこっている。

「エロの季節がやってくると、タマとり作戦のはじまりだよ。
 あんたたちみたいな、大人になりかけの小娘は、いちばんに狙われるからね。
 人間たちの、『地域猫』って言葉に気をつけな。
 それから、エロに血迷った男どものストーキングにもね」

      ~第4章に、つづく~


コメント(4) 
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コメント 4

yonta*

人間の都合と、お腹の縫い目とエロの季節・・・
「知らないこと」に対するねずちゃんの不安が伝わってきます。
にゃんこたちの声に、人間もいろいろ考えさせられるなあ・・
by yonta* (2013-01-13 12:59) 

morichan

『タマとり済み』『地域猫』。
確かに、人間のご都合主義と言われてもしかたなし。。。
とは言え、そんな中でも『エロの季節』はやってくる。
ねずちゃん、ぶっちゃん、いかにっ!?
by morichan (2013-01-20 21:49) 

マユリィ

ねずちゃん、ぶち子ちゃんの今後は?
今日は、第二章~第三章まで読みました。(^^)
地域猫として生きるには、「儀式」を受けなくては・・・ですね。
また、遊びに来ます!
by マユリィ (2013-07-08 16:02) 

ミケシマ

去勢・避妊は猫にとっても大切な事…だと思っていました。
もちろんそういう側面もありますが、猫にとっては「自然の摂理」をもぎ取られるわけですからたまったもんじゃないですよね…
うちのミケが小さい頃は、1回くらい子どもを産ませてあげればよかったかな…なんて思ったこともありました。
by ミケシマ (2020-05-18 18:10) 

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