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その63 [第12章 命がきえる]

 気まぐれな春の低気圧が、オホーツク海から冷たい空気を呼びよせている。 昨日まで
あんなにぽかぽかとあたたかだった春の気配はどこへやら、一夜にして南下してきた冬の寒気が
上空の湿った空気とぶつかりあって、お彼岸の中日は早朝から冷たい春の雨になった。

細かいけれど密度の濃い霧のような雨が、しっとりとあたりを濡らしはじめる。
雨は、屋根のない落ち葉だまりで丸まっているねずやヒメや子供たちの身体にも舞いおりて、
細かな細かな霧のつぶとなってみんなの毛皮をおおっていった。

猫の毛は皮脂でくるまれているので、ちょっとした雨ならはじいてしまえる。だから多少濡れても、
どこか乾いた場所へ行ってブルブルッと身体をひとふりすればなんてことはないのだが、
それは乾いた場所へ行ければのお話。
まだ目も開かない子猫たちや、起き上がることさえままならなくなったヒメに、この雨はこたえた。

おまけにまるで冬に舞い戻ったような寒さ! お昼を過ぎても気温はまったく上がらず、
止むことなく降りつづける雨に毛皮の奥までじっとりと濡れてしまった身体からは
どんどんと体温が奪われて、ヒメの体力は限界に近づきはじめていた。

 この危険な状態は、子供たちにとっても深刻である。
生まれたばかりの子猫はまだ体温の調整がうまくできないので、大人の猫よりも
ずっとずっと寒さに弱いのだ。 母猫が元気なら、自分が傘となって子猫たちをすっぽりと抱えこんで
濡れるのを防ぎ、寒さからも守ってやれるのだが、いかんせんヒメにはもうその力が残っていない。
それでも子猫は兄妹あわせて三匹、
いまはまだ、ヒメのぬくもりと三匹のお互いのぬくもりとで温めあって生きていられた。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・
午後になるとだんだんと呼吸も浅く、意識もあんまりはっきりしなくなってきたヒメを前に、
ねずは慌てふためいている。 このままでは、ほんとうにヒメは死んでしまいそうだった。

ヒメが死んで、またパクやさくらママのときみたいに『ナンニモナクナッテ』しまったら?
そうしたら、子供たちはどうなるんだろう?
冷たく固くなった骸に抱かれていても、子供たちはきっと凍え死んでしまうにちがいない。
じゃあ、ねずが抱いて温めればいい?
それなら凍え死ぬことはないかもしれない。でも、お乳は?
ねずは、まっ白の毛におおわれた自慢のお腹をのぞいては見たが、
ここからお乳を出すなんて芸当はとてもじゃないけどできそうにない。
いまねずにできる精一杯のことといえば、わずかながらもヒメと子供たちの傘となり、
雨を防ぎ、ねずのぬくもりを分け与えることぐらいだ。

 寒い雨降りではあったけれど、お彼岸の中日をむかえた墓地は、お墓参りの人出が絶えなかった。
あちこちに傘の花が咲き、人間たちの足音が響く。
それでもお墓参り日和だったきのうやおとといのようにのんびりと長居することなく、
ご先祖さまの供養をすますと、みんな早めに帰っていくのだった。

午後も遅くになって、じくじくと冷たい雨がようやく止んだ。

ねずは親子の傘となってじっとりと濡れてしまった身体をブルブルとふるわせて、ほっとひと息つく。
ねずがおおいかぶさるようにしていたおかげで、子猫たちはほとんど濡れずに済んでいるようだ。
ヒメは頭も背中もずぶ濡れになってしまったが、それでもまだ身体はあたたかく
心臓はとくとくと鼓動している。 ねずは、濡れたヒメの顔をペロペロと舐めてやった。

「・・・ねずさん」ヒメがかすかな声をだした。目はもう半分しか開けられないようだけれど意識はある。
「なあに?」ねずはヒメの顔をのぞきこんだ。
「ねずさん、わたくしは・・・もうダメみたいです」ヒメはまるで吐息のように言葉をしぼりだす。
「この子たちを・・・生かしてやりたい・・・でも・・・」
そんなふうに言って、ヒメはまた生と死の境へと戻ってしまった。

 ねずは、悲しみに引き裂かれそうだ。 なぜ? そして、どうすれば?
混乱する心のなかに、金色の目が浮かんだ。 「そうだ、キン子さん!」ねずは思う。
もう、ひとりでは、どうにもならない。 キン子さんに助けを求めるのだ。
ねずはヒメのそばを離れて、人気のなくなった墓地を駆けだした。
ただでさえ雨の日は、暗くなるのが早い。もうあたりには夕刻が迫っていた。

ねずがまるでバネ仕掛けのように勢いよくスタートを切って、
お墓の入口の階段をひとっ跳びで降りようとした、まさにその瞬間!

バサバサと、背後で不吉な音がした。 グエッ、グエッとつぶやくような鳴き声がつづく。

まさか! ねずはダッシュの足に急ブレーキをかけて、うしろをふり返った。
まっ黒な影が、ヒメの隠れている墓石の上に止まっている。

カラスだ! まるでねずが去るのを見張っていたかのように、一羽の大きなカラスが飛んできて、
ヒメたちを狙っていた。アブナイ! ねずは、とっさに身をひるがえした。
一目散にヒメのもとへと駆け戻る。カラスは母猫が死にかけていることを知ってか、
平然と親子の近くに跳びおりて猫たちをつつきまわしている。

「やめろー!!!」
ねずが威嚇の声とともに跳びかかったのと、カラスがバサバサと飛び立ったのは、ほとんど同時だった。
ねずの牙はカラスの翼をかすめたが、風切り羽の先っぽが折れただけで、
まんまと空中に逃げられてしまった。 にらみつけるねずの頭上を、あざ笑うようにカラスは旋回する。

よく見るとくちばしになにかをくわえているようだ。

遠くてよく見えないけれど、銀鼠色のちいさなカタマリ。

ねずはドキッとした。 そして、足もとの親子に目を落とす。
虫の息で横たわるヒメのお腹には、産毛のカタマリがふたつしかなかった。

ねずは、思わずその場にへなへなとくずれおちた。 涙がわいて、あふれでる。
大切な大切なヒメの子を、カラスにさらわれてしまったのだ。
いちばんちっちゃくて弱々しくて、ヒメそっくりだったきれいな子を。
ねずが守ってやらなければならなかった子を。 ねずにしか守ってやれなかった子を。

ねずが泣きじゃくっているあいだに、ヒメは意識を取り戻すことなく、静かに息を引き取った。
残されたふたりの子供たちは、まだかすかにぬくもりが感じられるヒメのお腹にへばりついて、
もうお乳がでることのない乳首をしゃぶっている。ねずは、ヒメからなんの気配も感じられなくなった
ことでその死を悟り、あの時のまだらの仏っさまの言葉を思い出した。

「けっして死を恐れてはならぬ。死は、終わりではない」と仏っさまは言った。
「今生での死は、御仏さまのもとへ帰り、もういちど新たな命として
いつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ・・・」と。

ではヒメは、いつの日にかまた目覚めるのだろうか?
・・・もしそうならば、その時ヒメは、きっと立派に成長した子供たちに会いたいにちがいない。

ねずは、前足で涙を拭いた。 そして、四本の足ですっくと立ち上がった。
いまはもう、めそめそと泣いている場合ではない。
母猫のぬくもりも、お乳も失ってしまった赤ちゃん猫を生かす方法を見つけなければ。
一分でも、一秒でも早く。子猫たちが凍えて、命を落としてしまう前に。

      ~第13章に、つづく~


コメント(7) 
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コメント 7

かずあき

こんにちは
やはり、お姫様の運命だったんですね。
それと生まれたばかりの2世も。

パウチがニャン専用になっているのも、
ウルフとサンの離乳食(高カロリーのパウチ)時代に、
自分たちのご飯ではなくてニャンのw/d(医療療法食)を
すきあらば、狙って食べていたので。
匂いはニャンのパウチと同じでしたから。
パウチは、今一つなんでしょうね。
by かずあき (2014-01-18 12:59) 

ニャニャワン

神様のお使いのときもあるのに、憎たらしいカラスが多くなりましたね。
ねずちゃん しっかり!
by ニャニャワン (2014-01-18 14:54) 

こいちゃん

弱肉強食とはいえ・・・辛いですね
by こいちゃん (2014-01-18 15:09) 

ChatBleu

カラスは強いもんねぇ。かわいそうに。
ヒメちゃんもとうとう・・・・。
残る子供達、なんとか助からないかしら(:_;)
by ChatBleu (2014-01-18 18:58) 

テツ

ウ~ム ついにこの時が来てしまいましたね。
しかし残された子猫達に希望の芽が残っています。
新しい展開が待ち遠しいです。

実はまだこないだの写真アップ出来てません。
んが、来週こないだのメンバーでまたレストランにお邪魔する予定です。
by テツ (2014-01-19 20:55) 

makimaki

訪問しました
by makimaki (2014-01-20 07:30) 

ちぃ

ヒメと赤ちゃん、もう1度生まれるときには幸せな命として
戻ってこれるといいですね。残された2匹をねずちゃんは
守れるのか、頑張ってねずちゃん!
by ちぃ (2014-01-21 13:40) 

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