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その10 [第3章 エロの季節]

 ねずが振り向くと、このゴミ捨て場でよく見かける年上の三毛猫がいた
みんなから『ミケねえさん』と呼ばれている、ここいらではちょっとした顔役猫だ。

「この小娘はね、さくらがベランダに上げてやった、例の捨てられチビだよ。
 いきなり放り出されて、この暑いのにまぁガンバったほうじゃないかねぇ。最後には
 とうとう音をあげて、結局、さくらのベランダに上げてもらって、
 いまじゃそこで人間がかりになってるようだけど、
 それでもさくらの威嚇にひるまずに自分でよじ登ったって言うじゃないか。
 さくらの甘ったれ娘よりは、ちょっとは骨があるってもんさ。
 で、あんた、なんて名前になったんだい?」

「ねず、です」

「あ~、あんた、色も体つきも、子ネズミっぽいからねぇ。
 でも、白線、とか呼ばれるよりはマシじゃないかね」

「へぇー、あそこのベランダ娘、ね」ゴンは、ベランダの方角にチラッと流し目をしてみせる。

 ねずの話は、もう、ご近所猫の情報網に知れわたっているらしい。
新参者だって、ふた月もすれば、ここいらの猫として受け入れてもらえるのだ。

「では、キラキラがうらやましいねずちゃまに、ゴンさまの武勇伝を聞かせてやろうじゃないか」
ゴンは、ねずをじろりとにらみつけた。
「このキラキラは、だ」と、もったいぶって言う。「これは、『タマとり済み』のしるしだ」

『たま・とり・ずみ』・・・またしてもねずには、聞いたことのない言葉だった。
一体、タマって何だ?しかもトリ??それでもって、ズミ???
なにか、トリとネズミの合いの子のようなものだろうか?
ねずがぽかんとしていると、ミケねえさんが笑った。

「ホホホホ、ゴンちゃん、それじゃ分からないわよ。だって、この子、女の子だもん」

「ああ、そうだな。タマっていうのは、ほれ、男のシンボルだ。それは分かるな?」
ねずは、うなずいた。そのぐらい知ってる。
「それを、こう、スパッと、切り取られてるってワケよ。
オレさまが、これ以上、おまえみたいなウブな小娘に子供をはらませたりしないように、ってな」

 ねずは、びっくりした。タマをスパッと、って、そりゃまた、どーして?

「どうしてかって?そりゃ、こっちが聞きたいね。それが人間さまのご都合だから、さ。
 世の中に、ノラ猫が増えると困るんだとよ」

「そういう目に遭うのは、男だけじゃないんだよ」ミケねえさんがつづける。
「あたしだって、もちろん『しるし』を持ってるさ」ミケねえさんは、左の耳をピクピク動かした。

よーく見ないと分からないが、
ミケねえさんの左耳には、先っぽのところにちいさな切り込みがあった。

「ここいらあたりは、人間たちの管理が行き届いているからね。
 ほとんど、みんな、しるしを持ってるんだ」

ねずは、またまた、びっくりした。
女のミケねえさんは、なにをスパッと切り取られたのだろう?

「ははん、女はね、お腹のなかのタマならぬ『タマゴ』を取るのさ。
 獣医は卵巣って言ってたけどね。だから、ゴンちゃんたち男の『タマとり』なんかより、
 よっぽど大変なんだよ。気がついたら、お腹の毛をつるつるに剃られていて、
 五センチばっかり縫い目がついててね。そんな傷は十日もすれば治っちまったけど、
 あたしはそんな話、誰からも教わってなかったからね。ちょっとショックも受けたよねぇ・・・」

ミケねえさんは、昔を思い出すようにしみじみと言った。

「まぁ、そのおかげで、ウルサイ男どもに追いまわされなくなるし、
 命がけで子供を産んだり育てたりしなくて済むようになったから、いまとなってみれば、
 あながち悪いことでもなかったかもしれないけどね」

 ねずは、もう、口あんぐりだ。ねずの、このやわらかなお腹。
いまはカスタードクリームがいっぱいつまっている、このぷっくりと幸せなお腹が、
まっ白い毛もつるつるに剃られて、おまけに五センチの縫い目、だって?

「ふっふっふっ」震え上がっているねずを見て、ゴンは嗤った。
「怖いか?そりゃ、怖いよな。でも、鈴付きじゃなくなったおまえの身にも、じきに、やってくるぞ。
 それがイヤなら、絶対に、人間どもに捕まるな。
 もし、おまえに、そんな知恵や根性があるなら、の話だけどな」

「ねずは捕まらないもん!」ねずは叫んだ。なにがなんでも捕まってなるものか。

「HA!」ゴンは、またバカにしたように鼻を鳴らした。
「野っぱらに出てきたばっかりの、鈴付きあがりのお嬢ちゃまが。
 HA!カスタードクリームにつられて、ビニールまで食っちまいそうな小娘が。
 HA!ベランダでぬくぬくと人間がかりのぬるま湯暮らしをしているくせに、
 このゴンさまさえも捕まえた人間に、捕まらないもん、とはね!」

ゴンは、あきれたように首をふった。そして、「ま、お手並み拝見といこうじゃないか」
と言い残して、どこへともなく、ぶらりと去っていった。

「ゴンちゃんの言うとおり」と、ミケねえさんが言った。
「ほんとうに、そろそろだよ。秋は、繁殖の季節だもの。
 気取って『恋の季節』なんて言うヤツもいるけど、あたしに言わせれば『エロの季節』だね。
 まだタマありの現役の男どもは、どいつもこいつも目を血走らせて、女の尻を追いまわすんだ。
 女だって、おんなじさ。男を求めて、心が狂うんだ。
 オワァ~、オワァ~って、とんでもない鳴き声をあげて、男の気をアオるんだよ。
 まぁ、あたしも現役の女だった頃はそうだったし、あんたも生まれて六ヶ月も過ぎれば、
 いっぱしの女になる。・・・産めよ、増やせよ。あたしたち動物のDNAには、
 そういう本能が刷り込まれているんだ。こればっかりは、自然の摂理なんだよ」

「でも、人間たちにとって、それは不都合なことなのさ」ミケねえさんは、つづける。
「あたしたちは、いっぺんに三匹も四匹も子供を産むし、秋と春、一年に二回も
 エロの季節がやってくる。もちろん産まれた全部の子猫が無事に育つはずもないけど、
 それでも放っておけば、ネズミ算ならぬ猫算になっちゃう。
 で、人間たちは、ノラ猫がこれ以上増えないようにしよう、って作戦をたてたってワケさ」

 それが『タマとり済み』であり、そのしるしとしてゴンの耳につけられた
緑のキラキラの意味なのだった。

ねずは、すっかり気持ちが沈んでしまった。
もう、空袋にくっついたカスタードクリームなど、どうでもいい。
むしろ、口の中に残ったそのねっとりと甘美な味が、『タマとり』のための罠のように
感じられて不快だった。

 「ねずちゃぁ~ん」ねずを呼ぶ、ぶち子の鳴き声がベランダから聞こえてきた。

あたりは、そろそろ夕暮れ時。もうすぐ、ゴハンの時間なのだ。
ねずは、とぼとぼと家路についた。ミケねえさんの最後の言葉が、しこりのように胸にのこっている。

「エロの季節がやってくると、タマとり作戦のはじまりだよ。
 あんたたちみたいな、大人になりかけの小娘は、いちばんに狙われるからね。
 人間たちの、『地域猫』って言葉に気をつけな。
 それから、エロに血迷った男どものストーキングにもね」

      ~第4章に、つづく~


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その11 [第4章 試練]

ガサガサガサ----------
ベランダに、誰かがやってきた。まさに、草木も眠る丑三つ時。
ねずもぶち子も、おでことおでこをくっつけあって、ぐっすりと熟睡していたときのこと。

「YO!」ねずの耳もとで、声がささやく。
「YO、起きなよ。月がきれいだよ」

 声の主は、アイゾウさんだった。
アイゾウさんというのは、さくらママのお兄さんで、つまりは、ぶち子のおじさんにあたる。
まだ二歳になったばかりの、すらりとハンサムな青年猫。毛並みはスマートな黒×白で、
背中は黒、お腹は白。頭から左右対称に、両目にかかるぐらいの黒ぶちが下りていて、
人間でいうと、ちょうどセンター分けの髪型のような感じだ。

男のセンター分けは別名『スケベ分け』ともいうが、さて、アイゾウさんはいかがだろうか。

 アイゾウさんは、ときどき気が向くと、ぶらりとベランダをのぞきにくる。
ぶち子の様子など見がてら、お腹が空いているときは、ふたりのごはんをつまんでいったりもする。

そこいらの若いオトコのようにギンギンと男気をふりかざしたり、乱暴なふるまいをすることもなく、
いくらお腹が空いていても、ふたりが食べている最中に、子猫をおしのけて横取りするような
下品な真似もしない。

 やさしくて面倒見がよく、ぶち子などは、生まれた頃からよく遊んでもらったものだ。
こわがりで、神経質で、たいていの猫と上手くつき合えないぶち子も、
アイゾウさんのことは大好きなのだ。
だから、ねずも自然と、気立てのいいアイゾウさんの姪っこのような気分でいた。

「起きなよ、ねず」アイゾウさんは、前足でそっとねずを揺り起こす。
「う~ん、眠いよ。なぁに?」ねずはちょっと頭を上げて、寝ぼけ眼でアイゾウさんを見た。

 いつもおっとりとしたアイゾウさんが、その夜は、なんだかすこし違って見える。
どこがどう、というわけではないが、ソワソワと落ち着きがないような?
だいたい、どうして、こんな真夜中にねずを起こしにきたのだろうか?

「いいから、いいから。ちょっと出ておいでよ」

 「出ておいで」とアイゾウさんが言っているのは、
ねずたちが寝ぐらにしている『猫箱』から出ておいで、という意味だ。
猫箱は、このベランダの持ち主である窓の人が、ふたりのために置いてくれたものである。
幅八十センチ、奥行きと高さは五十センチぐらいの頑丈なプラスチック製で、
どうも、本来の使い道は『犬用のケージ』らしい。

 アイゾウさんに出ておいで、と言われて、ねずは、起き上がった。
寝ぼけているせいで、ぶち子のお腹を踏んづけてしまったが、ぶち子は「う゛~」と
ひと声唸っただけで、またぐっすりと眠ってしまった。
猫箱から顔をだしたねずに、アイゾウさんはズリズリと頬っぺたをすり寄せてくる
猫同士が鼻先や頬っぺたをすり寄せあうのは、まぁ、ふつうの挨拶ではあるのだけれど
今夜のアイゾウさんのはちょっとディープな感じもする。ねずは、なにやらイヤ~な予感がした。

「なんか用?」
「用とかじゃないんだけど、ね。へへへ」アイゾウさんは、不気味にテンションが高い。
「ホラホラ、あの月!まんまるで、すっごくきれいじゃないか」

 そう言いながら、ねずをベランダのなかほどへと誘いだす。
たしかに、まんまるで美しいお月さまだった。ふっくらと黄色くて、シュークリームみたい・・・

ねずの口に、十日ほど前に味わったカスタードクリームの甘美な思い出がよみがえってきた。
あぁ、あのカスタードクリームをもう一度・・・でも、あのカスタードクリームには、
忘れちゃいけない教訓があったんじゃなかったっけ・・・

えっと、それは『ビニール食べちゃダメ』ってことと、もうひとつ。
なんだか、もっと大切な教訓があったような?

 ねずが、そんなことに思いを巡らせていたとき、である。
アイゾウさんが、いきなりねずの首筋をガブリと噛んだ。

「ぎゃー、やめて」

ねずはびっくりしてもがいたが、アイゾウさんは、ねずの首筋をしっかりくわえて離そうとしない。
そして、そのままねずの身体を押さえ込んで、ねずのうえに馬乗りになろうとした。

「ひゃー、なにするのよぅ」
「ヤラセロ!」アイゾウさんは、ねずの首筋をくわえたまま言った。

 だがアイゾウさんが言葉を発したとき、ほんの一瞬、首筋をくわえる力が甘くなった。
ねずは、その瞬間を見逃さず、すっと身をひるがえしてアイゾウさんの下から抜けだした。

    ~その12に、つづく~


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その12 [第4章 試練]

 「ヤメテクダサイ」ねずは、あわてて猫箱のかげに逃げ込んだ。
驚きとショックで、首の後ろの毛が逆立っている。
そのあたりの毛は、アイゾウさんの唾液でベタベタになっていて気持ちが悪かった。

 「いいじゃないか、ヤラセロよ」アイゾウさんの目は、血走っている。
もう、まったく、いつものやさしくて気立てのいいアイゾウおじさんじゃなかった。

 そこでねずは、やっと思いだした。カスタードクリームの教訓を。ミケねえさんの大切なお話を。
晩秋のこの名月の夜に、アイゾウさんは『エロ』になってしまったのだ。

 とにもかくにも、逃げなくっちゃ!
ねずは、脱兎のごとくベランダから逃げだした。出せる限りのスピードで。
どこでもいいから、捕まらない場所へ。そして、五軒先のお宅の庭先にある大きな桜の木にのぼって、
夜が明けるまで枝先にしがみついていた。

 そんな深夜の訪問が、幾晩もつづいた。
ぶち子に打ち明けたが、あんまり親身になってくれない。
ぶち子にとってアイゾウさんは、いまもやさしいおじさんのままだ。

「だから、エロになっちゃったんだってば」
「エロって、なにさ」
「う~んと、だから、エロ・・・」

 じつは、ねずは、ゴミ捨て場でゴンやミケねえさんに聞かされた話をぶち子にはしていなかった。
ねずのちっぽけな脳ミソでは、あんなややこしい話をうまく要約して、
ぶち子に分かるように説明するのはムリだったので。
だから、エロのことをぶち子に説明するのは手間がかかった。

 「秋は、エロの季節で、オトコがオンナを追いかけまわすんだって!
それで、アイゾウさんもエロになって、あたしのところに来ちゃうんだってば」
 「あんたのとこに来て、どうすんの?」
 「ン???」ねずは考えた。
そういえば、エロになったアイゾウさんは、ねずに何がしたいんだろう?

「あたしの上に、馬乗りになりたいみたい?」
「馬乗りになって、どーすんの?」
「わかんない・・・でも、なんか必死っぽくてコワいんだよぅ」

-------- ま、ねずもぶち子も、エロの真髄を理解するには、まだまだ幼すぎるということだ。


アイゾウさんのエロ攻撃は、二、三日つづくとちょっと休み、またはじまるといった具合に進展した。
そして、そうこうするうちに、ぶち子にも魔の手が伸びはじめた。

 ぶち子のストーカーは茶太郎である。アイゾウさんよりすこし年上の茶トラで、こちらは鈴付き。
鈴こそ付いていないが、イカした赤い首輪をしている。
ふだんはあんまり家の外をうろつかないように管理されているようだが、エロの季節は特別だ。
家の中で暴れては、ムリやり外へ出てくるらしい。

 エロに狂ったオトコどもの襲撃は、たいてい、深夜から明け方である。
したがって、ねずを襲いたいアイゾウさんと、ぶち子を狙う茶太郎が
ベランダで鉢合わせするような状況もしばしば起きた。

そうなると、事態は混乱を極める!

「ねず~、ヤラセロ!(威圧)」
「ぎゃー、ヤメテェ(悲鳴)」
「ぶっちゃん、でておいでぇ~(猫なで声)」
「いやぁ~、来ないでッ(拒否)」
「おめぇ、ジャマなんだよ(怒)」
「テメェこそ、どきやがれ(凄)」
「オラァ、やんのかッ(売り言葉)」
「おぅ、やったろーじゃねーか(買い言葉)」

シャーッ、フガーッ、ギャー!ドタドタドタ!ゴロン、バタン、ドシン!
ベランダは、もはや修羅場である。
さすがに、眠っていた人間たちも目を覚ます。ベランダのお宅だけじゃなく、向こう三軒両隣。
ベランダが開いて、窓の人が顔をだしても、興奮したオトコどもは、すぐには逃げださない。
事態を収拾するために、窓の人はバケツに水をくんできて、オトコどもに浴びせた。

    ~その13に、つづく~


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その13 [第4章 試練]

 ピンポ~ン。
そんなある日のお昼過ぎ、ベランダのお宅の呼び鈴が鳴った。

 誰かが訪ねてきたのだ。窓の人が玄関のドアを開けて応対している。
猫箱のなかで昼寝していたねずは、まだ半分ぐらい眠ったまま、耳だけスイッチオンにした。
玄関先の人間たちが、猫にごちそうでも出してくれる気になったとき、
うっかりその気配を聞き逃してしまっては大損なので。

「こんにちは」

「ハイ、どちらさまですか?」

「わたくし、『地域猫ネットワーク』という活動をしている川嶋という者ですけど、
突然おじゃましてごめんなさい。いま、すこしお話させていただいてよろしいかしら?」

「はぁ、大丈夫ですが・・・」

「あの、お宅、ベランダに猫がいますよね?」

「あっ、ハイ、あの・・・四月頃に、ノラ猫がベランダで子猫を産んじゃって・・・
それで、子猫だけ置いて親猫はもう居なくなっちゃったんですけど、
そのかわりって言うんだかなんだか、あっちに捨てられてた子猫が上がってきちゃって・・・」

「お宅で飼ってらっしゃるの?」

「いや、あの、飼ってるっていうか・・・なんとなく面倒は見てるんですけど。
あの、ウチは、家の中で犬を飼ってるものですから、猫を入れるわけにもいかなくて・・・」

「で、ベランダで面倒を見てらっしゃるわけね?猫は二匹?」

「はぁ、そうです」

「お宅で産まれた子は、四月産まれっていうと、そろそろ七カ月ね。もう一匹はどのぐらい?
 で、オスですか、メスですか?」

「どっちも女の子みたいです。産まれた時期も、たぶん同じぐらいだと・・・」

「そう、生後七カ月のメスが二匹、ね。このところオス猫が来てるでしょ?」

「あ、来てます。夜中とか、大騒ぎになっちゃって・・・」

「そうでしょうね、もう七ヶ月になったら、メス猫はいつ発情してもおかしくないから。
このままだと、また子猫、産まれちゃいますよ」

「はぁ~~~~、困りますよねぇ」

「そうでしょう?だから今日、お訪ねしたんですよ。あなた、『地域猫』って聞いたことあります?」

そして、地域猫ネットワークの川嶋さんは、次のような話をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ひと昔前、世の中がもっとのんびりしていた頃は、猫は家のなかと外を
自由に出入りさせながら飼うのが当たり前でした。

ごはんは飼い主の家で食べるけれど、あとは勝手気まま。
たいていの家には、床下やお勝手口などに猫専用の出入り口があって、出かけたいときに
ぶらりと外出し、てきとうに戻ってきて、気がつくとお座布団の上でまあるくなっている・・・

そんな暮らしぶりが、猫が猫らしくいられる飼い方だったのです。

ホラ、近所を歩けばいろんな猫がぶらぶらしていて、それが飼い猫でもノラ猫でも、
誰もあんまり気にしなかったし、自分の家の庭先でどこかの猫が遊んでいても、
ことさらに目くじらを立てる人もいなかったでしょう?
それが、時代がかわって町がどんどん整備されて、野っぱらや空き地もなくなって、
住宅街がどんどん小ぎれいに整理整頓されはじめてから事情がかわってきたんですよ。

「隣の猫がウチの庭をほじくりかえすから困ってるんです、せっかくガーデニングしてるのに」
「あそこの公園は猫がたむろしてて、不潔!ひっかかれるかもしれないし、
安心して子供を遊ばせられないわ」なんて苦情がくるようになって、
猫を外で自由に歩きまわらせておくと、ご近所の方とトラブルが起きるようになったの。

それに、クルマ社会も問題!自動車に乗る人が増えて、住宅街の細い道でも、
けっこうスピード出して走っているでしょう?
いまは、交通事故で死んでしまう猫がとっても増えているのよ。

とにかく「ご近所に迷惑かけちゃいけない」というのと「クルマにひかれちゃうから」という理由で、
いま、都会では『猫は家の外に出さない』という室内飼いが浸透しはじめているんですよ。
それはいいことだと思うんだけど、でも外で暮らしているノラ猫は、まだまだいっぱいいるでしょ?
それは、なぜだと思う?結局、捨てられる猫がいっぱいいるからなの!

捨てられた猫たちは、身を隠せるような自然のある場所に住みついて生き抜こうとするのね。
昔なら野っぱらや空き地があったから、住処を見つけるのにも苦労しなかったんだろうけど、
いまはそういう場所が少なくなっちゃいましたからね。だから、公園とかお寺の境内とかお墓とか、
そういう場所に集まってくるのね。そうでなければ、寛大に猫を住まわしてくれる家の庭先とか。
お宅のベランダみたいに、ね。

とにかく、捨てられたって猫ですもの、彼らはたくましいのよ。
捨てられた我が身の不幸を苦にして自殺した、なんて猫の話、聞いたことないでしょう?
でも、いくらたくましいったって、生きていくには食べものが必要よ。
お腹を空かせた猫たちがやせ細ってうずくまっていたら、助けたくなるのが人情じゃない。
で、猫好きの人間たちがやってきて、公園やお墓や駐車場でノラ猫にごはんを与えはじめるの。

すると、近くに潜んでいた猫たちは、「ここならごはんをもらえる」って、
その場所にみ~んな集まってくる。・・・そうすると、どうなると思う?
またまた、町の衛生管理局に苦情がくるのよ。
「裏の公園で、猫にエサをあげる人がいて困るんです。エサがばらまかれて不潔だし、
いつも猫が集まってうるさくて・・・」「あそこの駐車場はノラ猫の住処になってるから、
保健所で処分してもらえませんか・・・」あの、説明するまでもないと思いますけれど・・・
 (ここで川島さんは、ひと呼吸おいて言った)
『処分』っていうのは、殺してしまえということですからね。

世の中には、猫が好きな人もいれば、猫が嫌いな人もいます。
ノラたちが可哀想だからって、エサを与えているだけでは、解決できない問題なんです。
でも、公園の猫たちがノラになってしまったのは、もともとは捨てられたからなんですよ。
捨てられた猫から産まれて、代々ノラとして繁殖している猫も含めて。
捨てたのは人間なんだし、なにより、猫だってなんだって、それは命でしょう?
せっかくこの世に生を受けた命なんだもの、まっとうさせてやりたいじゃないですか。
それで、『地域猫』という考え方が生まれたんです。

いまその地域にいるノラ猫たちは、近所の人や猫が嫌いな人にも理解を求めながら、
迷惑をかけないように面倒を見る。
たとえばエサを与えるにしても、公園や路上に置きっぱなしにせず、
きちんと後かたづけをして清潔にするとか、そういうルールを守っていくことも必要なんですけどね。

でもいちばん大切なのは、ノラ猫が、その猫一代限りで終わるようにすることなんです。
ノラ猫同士で繁殖して、またノラとして生きるしかない子猫を増やしてしまわないように、
きちんと去勢や避妊をしてあげなくちゃ。・・・私たちは、そういう活動をしているんですよ。

      ~その14に、つづく~


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その14 [第4章 試練]

「で、どうですか?お宅の二匹、避妊していただけます?」川嶋さんは、熱弁をこう結んだ。

「はぁ、そうですねぇ。ウチとしても、子猫が増えるのは困りますから…
でも、避妊ってどうすればいいんでしょう?
あの、毎日ごはんをあげてるんで、私のことを怖がったりはしてないようですけど、
手で触ったりとか、抱き上げたりとか、そういうことはぜんぜんできないと思うんですよね」

「そうね、人間が手で捕まえられない猫の場合は、ふつう『捕獲器』を使うのだけど」

「あの、『捕獲器』って、どういうものですか?」

「捕獲器っていうのは、まぁ、罠みたいなものですよ。金網でできた箱で、なかに食べものを
置いておいて、猫が入ってそれを食べるとバネで扉が閉まって出られなくなる仕掛けなの。
人からごはんをもらい慣れてる猫なら、たいてい捕まるわね。
もちろん、私たちで用意してお貸ししますよ」

「はぁ~、罠ですか・・・でもなんか、それってあの子たちへの裏切り行為みたいですよねぇ…」

「うふふふ、『裏切り』って、あなた、その子たちを可愛がっていらっしゃるのね。
たしかに、ちょっと荒っぽいやり方かもしれないけど。
でも、どうなの?捕獲器を使わないで、捕まえられそうなの?」

「えーっと、あの、いま猫たち、ベランダに置いた猫箱のなかで暮らしてるんです。
その猫箱っていうのは、ウチの犬が昔使っていたケージなんで、
扉を閉めれば閉じこめられちゃうんです。いまはジャマになるので扉は外してあるんですけど、
もう一度取り付けるのは簡単なんですよ。
それで、あのふたり、いっしょに猫箱のなかで寝てることが多くて。
このごろは、そんな時に私がちょっとベランダに出ても気にしないっていうか、
そのまま寝ててぜんぜん起きなかったりするので、そーっと扉を閉めれば
捕まえられそうな気もします」

「あら、それはいいわ!」川嶋さんは声を弾ませた。
「やっぱり捕獲器だと、猫を怖がらせることになっちゃいますからね。
それに、二匹いっぺんに捕まえるのが理想よ。
一匹逃がしてしまうと、警戒して捕まらなくなることもよくあるから。
じゃ、捕まえるのはお宅におまかせして、こっちはさっそく手術の予約をしなくては。
日にちを決めて、その日の朝に捕まえていただいて、お昼前ぐらいに病院に連れていって、
手術するのはその日の夜。一泊入院させて、帰ってくるのは翌日という段取りになります。
病院に連れていくのと、次の日連れて帰るのは私たちのスタッフがやりますから安心してください。
でも、手術の費用はお宅の負担になりますけど、よろしいですか?」

「はい、それはウチでもちますが…」

「ごめんなさいね。私たちもボランティアでやってるから、みんな持ち出しなのよ。
でも、ありがたいわぁ!こんなふうに、すんなり協力していただけて。
手術の費用を出してくださいってお願いすると、『えっ、それならやめます』っていう人も多いのよ。
ノラ猫を集めてエサだけあげて、栄養状態のよくなった猫たちが繁殖して、
どんどん増えちゃってるのに平気な人!そんな人のせいで苦情が増えて、猫たちのことを
真剣に考えている我々のような人間まで、白い眼で見られたりするのよ。
エサだけあげてれば可愛がっていると思っているような人は、ほんとうの猫好きじゃないんですよ」

「はぁ…」

「とにかく、お宅がいい方でよかったわ。私たちの活動を支援してくださっている病院に
お願いするので、手術の費用は、通常より割安になりますから」

「あの、それで手術のあとは、どうすればいいんですか?」

「一週間分ぐらい抗生剤が出るから、飲ませられるなら、飲ませてあげて。ごはんに混ぜれば、
食べちゃうと思うけど。それに、開腹したあとを縫うのには溶けてしまう糸を使うから、
抜糸は必要ないの。でも、お腹の毛を剃らなきゃならないので、寒くなっちゃうと思うのね。
だから、できれば暖かい敷物なんかを用意してくださるといいんだけど…」
川嶋さんは、そこまで言って、ちょっと考えてから続けた。
「ところで、子猫たち、避妊がすんだらどうします? 
またこのベランダで面倒を見ていただけるのかしら?もし人になつくようなら、
里親を探してあげるのが最善の方法なんだけど…。
でも、片一方はノラから産まれてノラに育てられた子でしょう?
そういう子は、なかなか人が飼えるように馴らすのはむずかしいのよね」

「あの、ウチとしては、このベランダにいてもらってかまわないんですよ。
それに、ふたりがあんまり仲がいいんで、一緒にここで暮らすのがいいんじゃないかな、って思うし。
いまは犬がワンワン吠えちゃうんでムリなんですけど、ゆっくり時間をかけて馴らしていけば、
ふたりが家のなかに入ってきても平気になるかもしれないし」

「私たちも、このベランダで、お宅に面倒を見ていただけるなら安心だわ。
では、手術の日にちを決めましょう。来週の水曜日あたりはどうかしら?」

 けっこうな長い時間を費やして、玄関先の密談は終了した。
で、お昼寝中だけど耳だけ澄ましていたはずの、ねずの様子はどうだろう?

 ZZZ…やっぱりね。
食べものが出される気配も、おいしそうな匂いも、なぁんにもしてこない
人間たちのヒソヒソ話など熱心に聞き入るはずもなく、川嶋さんがお話をはじめて
五分としないうちに、ねずは、やすらかな眠りのなかに戻ってしまっていた。

 あぁ、ねず、なぁんにも覚えていられない、気の毒なほどちっぽけなその脳ミソ。
あのとき、ミケねえさんは、なんて言ってたんだっけ?
「エロノ季節ニナッタラ、『地域猫』トイウ言葉ニ気ヲツケロ」って、
教えてくれたんじゃなかったっけ?

せっかくの警告もすっかり忘れて、大切なキーワードを聞き逃すなんて!
でも、あの百戦錬磨のゴンだって、人間さまの罠を逃れることなどできなかったのだもの。
ベランダでぬくぬくと眠るちびの子猫たちが上手に立ち回ろうなんて、
ちゃんちゃらおかしいってもんだよね。

    ~その15に、つづく~


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